安心感の研究 by 暖淡堂

穏やかに日々を送るための試みの記録

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「人はいさ心も知らずふるさとは」 紀貫之 仮名文字で書かれた「土佐日記」の作者としても知られる

百人一首第35番目の歌の作者は紀貫之です。

古今和歌集の選者であり、三十六歌仙の一人です。

また土佐日記の作者とも知られています。

 

今回は紀貫之について紹介します。

 

紀貫之とは

生年866年頃、没年942年頃。平安時代前期から中期にかけての人になります。

官位は従五位上木工権頭で、明治になってから従二位を贈られています。

醍醐天皇による勅撰和歌集古今和歌集」の選者として、紀友則壬生忠岑、凡河内 躬恒らとともに万葉集の時代から平安中期までの和歌を選びました。また自らの和歌も101首選ばれています。

紀貫之は「古今和歌集」の仮名序も執筆していて、当時の国風文学の第一人者でした。

また「土佐日記」も執筆しています。この「土佐日記」は仮名で書かれています。仮名は当時は女性の使うものと思われていたものです。それを男性の紀貫之が使って日記文学作品を残した。この試みは、後の随筆、女流文学などへとても大きな影響を与えました。

紀貫之墓所滋賀県大津市比叡山中腹あたりにあります。

百人一首や和歌にご関心のある方は、立ち寄られてみてはいかがでしょうか。

 

時代背景

紀貫之の残した「土佐日記」は、赴任先から帰京する行程で書かれた日記になっています。紀行文のようなものともいえるかもしれません。

また、全体が仮名文字で書かれています。上にも書きましたが、当時は男性は主に漢文で、女性は仮名文字で文章を書いていたようです。

そこで、紀貫之が「土佐日記」を書くにあたっては、この文章は女性が書いたものだ、ととらえられるような一文から始めています。

「男もすなる日記というものを女もしてみむとてするなり(土佐日記)」

このことについていくつかの見解が示されています。

「仮名文字を使うのは女性なので、仮名文字で書かれた土佐日記の作者は女性である」という形を装ったもの、という解釈ができます。

ただし、紀貫之は間違いなく男性。

「男性の書く日記は漢文だが、女性の書く日記のように仮名で書いてみよう」という意思表示だったという見解もあります。

なんとなく、この解釈が自然な気がします。

この試みが、後の女流文学にも、その他の日本の文学にも大きな影響を与えたものであることは間違いありません。

紀貫之もまた、変革者でありました。

百人一首の歌

歌:人はいさ心も知らずふるさとは花ぞ昔の香に匂ひける

歌の意味:人の心はどうでしょうか、まったくわかりませんが、ふるさと奈良に咲く梅の花は昔と同じように匂い立っていますね

 

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「人はいさ心も知らずふるさとは」 紀貫之

仮名文字で書かれた「土佐日記」の作者としても知られる

 

当時の人が「ふるさと」というと、奈良のことを指します。

あるいは「吉野」

日本のルーツがそこにあったという意識がまだ強く残っていたのでしょうか。

 

またお立ち寄りください。

どうぞご贔屓に。

 

 

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