36歌仙の一人です。古今和歌集の選者でもありました。
今回は壬生忠岑について紹介します。
壬生忠岑とは
生年860年頃、没年が920年頃。
前回の凡河内躬恒とほぼ同じ時代の人です。
和歌の才能は高く評価されていましたが、高位に任官されることはなかったようです。
百人一首に選ばれた歌に関して、逸話があります。
後鳥羽院が藤原定家、家隆に古今和歌集の中の名歌はどれかと尋ねられました。
定家、家隆の二人が選んだのがこの壬生忠岑の歌だったといいます。
内容は素朴なものですが、時間の流れや人の心の動きなどが無理なく自然に表現されているところを評価したようです。
時代背景
壬生忠岑の生きた時代は、平将門の乱(935年)、藤原純友の乱(939年)の前夜といえる時期です。
この時期、全国で荘園が発生しています。
そもそもは、律令制の一環として行われていた班田収授法により、国民に与えられていた土地が、有力者による独立性の高い支配地域に変わっていったものが荘園といえます。
つまりは班田制度の崩壊とともに荘園が生まれてきた形です。
この独立性を維持するために、初めは利用されていた武士たちですが、やがて力をつけ、支配者の位置を奪っていきます。
そのような状況で起きたのが平将門の乱になります。
百人一首の歌
歌:有明のつれなく見えし別れより暁ばかり憂きものはなし
歌の意味:有明の月がつれなさを見せた朝に貴方と別れてからは、暁ほど悲しくつらいものはない。
制度を理想通りに運営するのは難しいものですね。
特に個人的な利害の調整が必要になるものは、よっぽどうまくやらないと破綻します。
またお立ち寄りください。
どうぞご贔屓に。
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