百人一首第94番目の歌の作者は参議雅経(藤原雅経)です。
後鳥羽上皇に重用され、藤原定家らとともに「新古今和歌集」の選者の一人でもありました。
今回は参議雅経について紹介します。
参議雅経とは
生年1170年、没年1221年。
官位は従三位、参議でした。
藤原雅経の父、藤原頼経が源義経と親しい関係にあり、源義経が追われた後は藤原頼経、雅経親子は鎌倉に護送されることになりました。
しかし雅経は頼朝からその和歌や蹴鞠の才能を認められ、源実朝とも親交を結ぶなどしたため、次第に頼朝からも重んじられるようになりました。
この藤原雅経は、後鳥羽上皇からも重用されます。
院における歌壇で活躍し、また蹴鞠の実力も高く評価されました。
後鳥羽上皇からは「蹴鞠長者」の称号を与えられています。
このことから、藤原雅経は飛鳥井流蹴鞠の祖とされています。
時代背景
サッカー選手の信仰を集める京都白峯神宮は、もと飛鳥井家(藤原雅経を祖とする)の屋敷跡とのことです。
蹴鞠は「鞠を落とさない」とのことから、受験の神様としても信仰されるようになっているみたいですね。
百人一首の歌
歌:み吉野の 山の秋風 さ夜更けて ふるさと寒く 衣打つなり
歌の意味:吉野の山に秋風が吹き、夜が更けると古都吉野は寒く、衣を打つ砧の音が聞こえてくる。
またお立ち寄りください。
どうぞご贔屓に。
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