定家の従兄弟にあたる人です。
今回は寂蓮法師について紹介します。
寂蓮法師とは
生年は1139年頃、没年は1202年。
俗名は藤原定長で、父は阿闍梨俊海。
後、阿闍梨俊海の兄の藤原俊成(藤原定長の伯父)の猶子(養子)となります。
30歳過ぎに出家しました。
出家後も御子左家の歌人として活躍し、新古今和歌集の選者の一人となっていましたが、完成する前に没してしまいました。
この歌の「村雨」とは通り雨、にわか雨。
その雨が梅雨を真木(まき:杉や檜で常緑樹)の葉に露を残します。
その露の滴に視点を集中してから、目を上げ、立ち上る霧を見ます。
そしてさらには山全体を眺め、そこに広がる夕暮れの光に身を浸す。
そんな情景のダイナミックな動きが味わえます。
見事な叙景詩といえますね。
詩人らしい心の動きと、それを表現される確かな技巧が味わえる歌になっています。
時代背景
百人一首に選ばれた歌は、後鳥羽院によって催された歌合で披露されたものです。
後鳥羽天皇は、平家とともに壇ノ浦の海に没した安徳天皇の異母弟。
神器のうち、宝剣は安徳天皇とともに海に沈んだため、神器の揃わないままに即位しました。
即位後も、後白河法皇の院政、関白九条兼実の朝廷主導の時期があり、その後の1198年に土御門天皇に譲位してから、やっと自らの政治が行えるようになります。
源頼朝が生きているうちは幕府と融和的な対応を続けています。
が、その後、いくつかの事件を経て、北条氏が権勢を握った鎌倉幕府と衝突するときがきます。
それが承久の乱です。
1221年のこと。
百人一首の歌
歌:村雨の 露もまだ干ぬ まきの葉に 霧立ちのぼる 秋の夕暮れ
歌の意味:にわか雨が残していった露もまだ乾かぬ真木の葉に、霧が立ちのぼっている、ああ秋の夕暮れよ。
またお立ち寄りください。
どうぞご贔屓に。
にほんブログ村ランキングに参加しています
![PVアクセスランキング にほんブログ村](https://blogparts.blogmura.com/parts_image/user/pv11118659.gif)