安心感の研究 by 暖淡堂

穏やかに日々を送るための試みの記録

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「村雨の 露もまだ干ぬ 槇の葉に」 寂蓮法師 日本的な風景を目で追うような叙景詩

百人一首第87番目の歌の作者は寂蓮法師じゃくれんほうしです。

定家の従兄弟にあたる人です。

 

今回は寂蓮法師について紹介します。

 

寂蓮法師とは

生年は1139年頃、没年は1202年。

俗名は藤原定長で、父は阿闍梨俊海。

後、阿闍梨俊海の兄の藤原俊成藤原定長の伯父)の猶子(養子)となります。

30歳過ぎに出家しました。

出家後も御子左家の歌人として活躍し、新古今和歌集の選者の一人となっていましたが、完成する前に没してしまいました。

 

この歌の「村雨」とは通り雨、にわか雨。

その雨が梅雨を真木(まき:杉や檜で常緑樹)の葉に露を残します。

その露の滴に視点を集中してから、目を上げ、立ち上る霧を見ます。

そしてさらには山全体を眺め、そこに広がる夕暮れの光に身を浸す。

そんな情景のダイナミックな動きが味わえます。

見事な叙景詩といえますね。

詩人らしい心の動きと、それを表現される確かな技巧が味わえる歌になっています。

 

時代背景

百人一首に選ばれた歌は、後鳥羽院によって催された歌合で披露されたものです。

後鳥羽天皇は、平家とともに壇ノ浦の海に没した安徳天皇の異母弟。

神器のうち、宝剣は安徳天皇とともに海に沈んだため、神器の揃わないままに即位しました。

即位後も、後白河法皇院政、関白九条兼実の朝廷主導の時期があり、その後の1198年に土御門天皇に譲位してから、やっと自らの政治が行えるようになります。

源頼朝が生きているうちは幕府と融和的な対応を続けています。

が、その後、いくつかの事件を経て、北条氏が権勢を握った鎌倉幕府と衝突するときがきます。

それが承久の乱です。

1221年のこと。

 

www.tamagawa.ac.jp

 

 

百人一首の歌

歌:村雨の 露もまだ干ぬ まきの葉に 霧立ちのぼる 秋の夕暮れ

歌の意味:にわか雨が残していった露もまだ乾かぬ真木の葉に、霧が立ちのぼっている、ああ秋の夕暮れよ。

 

 

村雨の 露もまだ干ぬ 槇の葉に」 寂蓮法師

日本的な風景を目で追うような叙景詩

 

またお立ち寄りください。

どうぞご贔屓に。

 

 

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