安心感の研究 by 暖淡堂

穏やかに日々を送るための試みの記録

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「明けぬれば 暮るるものとは 知りながら」 藤原道信朝臣 後朝の想いを素直に告げる歌

百人一首第52番目の歌の作者は藤原道信みちのぶ朝臣あそんです。

この人も三十六歌仙の一人でした。

 

今回は藤原道信みちのぶ朝臣あそんについて紹介します。

 

藤原道信朝臣とは

生年972年、没年は994年。

享年23。とても短命でした。

この人も藤原北家に連なり、最終の官位は従四位上左近衛中将

一条天皇に仕えていました。

 

百人一首に選ばれているこの歌は、女性と過ごした夜が明け、帰った後に詠んだもの。

夜が明ければまた日が暮れて夜になり、会うこともできることがわかっているのに、それでも夜が明けて朝が来るのがとても辛い。

そんな想いを素直に謳っています。

 

和歌の才能だけでなく、その容貌も素晴らしい人だったようです。

活躍が期待されながらも、夭逝してしまいました。

そのことがとても惜しまれたとのこと。

 

時代背景

藤原道信朝臣の亡くなった原因は不明ですが、この頃は伝染病が流行していました。

以下の記事もご参照ください。

 

dantandho.hatenadiary.com

 

藤原北家の権勢も上昇し続けています。

藤原道長が内覧の宣旨を賜るのが995年。

疫病が流行し、高位の人たちが欠ける中、生き残ったということも、藤原氏の隆盛の条件だったのでしょう。

 

百人一首の歌

歌:明けぬれば 暮るるものとは 知りながら なほ恨めしき 朝ぼらけかな

歌の意味:夜が明けたなら、また暮れるものであることはわかっているが、それでも恨めしい、夜が明けてしまうのは。

 

https://item-shopping.c.yimg.jp/i/j/bookfan_bk-4044072183

 

「明けぬれば 暮るるものとは 知りながら」 藤原道信朝臣 後朝の想いを素直に告げる歌

 

次に来る10世紀は藤原氏権勢の絶頂期でもあり、また地方での武力を背景にした勢力が力をつけた時期でもありました。

 

またお立ち寄りください。

どうぞご贔屓に。

 

 

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