今回は能因法師について紹介します。
能因法師とは
生年988年、没年1050年(または1070年)。
俗名は橘永愷。
和歌に堪能で、諸国を旅し、その情景を詠った歌が残されています。
百人一首に選ばれた歌は後冷泉天皇の頃の内裏歌合で詠まれたもの。
この時は三室の山の情景を想像して作っていますが、山に吹き荒れる嵐、散るもみじ葉、錦のような落ち葉で覆われた竜田川など、色彩と動きが盛り込まれた作品になっています。
能因法師はまた数寄人という評価もされています。
風流を愛し、芸事に優れていたと、多くの人から認められていたということでしょう。
時代背景
1051年に東北地方で前九年の役が始まっています。
この出来事を介して、源氏が東国を中心にした武士の棟梁としての立場が確立していくことになります。
また平氏も独自に西国を中心に足場を固めます。
後三年の役(〜1087年)が終わって100年で、源平の諸勢力が激突することになります。
百人一首の歌
歌:嵐吹く 三室の山の もみぢ葉は 龍田の川の 錦なりけり
歌の意味:嵐が吹き、撒き散らした三室の山の紅葉の葉は、竜田川にかけられた錦のようなものだったのだ
「嵐吹く 三室の山の もみぢ葉は」 能因法師
秋の情景に思いを馳せて詠った
またお立ち寄りください。
どうぞご贔屓に。
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