安心感の研究 by 暖淡堂

穏やかに日々を送るための試みの記録

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「みかの原わきて流るるいづみ川」 中納言兼輔 風雅な交流の中心だった紫式部の曽祖父

百人一首第27番目の歌の作者、中納言兼輔こと、藤原兼輔です。

紫式部の曽祖父にあたる人物です。

 

今回は中納言兼輔、藤原兼輔について紹介します。

 

中納言兼輔こと藤原兼輔とは

877年に生まれ933年に亡くなっています。

享年57。

 

醍醐天皇に仕え、最終官位は権中納言従三位

和歌や管弦に秀で、当時の歌壇の中心にいました。

紀貫之凡河内躬恒などがその邸宅に集まって、風雅な交流が行われたようです。

邸宅は鴨川の堤にあったので、堤中納言とも呼ばれます。

なお、百人一首に選ばれている歌は、藤原兼輔の作ではないとも考えられています。

作者不詳なのですが、藤原兼輔の作として新古今和歌集に選ばれ、百人一首にもそのまま入っているという状況のようです。

 

時代背景

竹取物語(900年頃)、伊勢物語(903年頃)、古今和歌集(905年頃)がそれぞれ成立した時代でした。菅原道真の左遷などの事件もありましたが、政治の中心にあった藤原北家の権勢は確実なものになり、文化が発展する基盤が整ったということでしょうか。

一方、海外では唐の滅亡(907年)を受けて、中国大陸は小国分立の時代になります。また国内では東国での武士階級の台頭、西国での交易従事者の勢力の拡大などがあり、内乱の火種が生じていました。

それらは、やがて平将門の乱藤原純友の乱に繋がっていく出来事でもありました。

 

百人一首の歌

歌:みかの原わきて流るるいづみ川いつ見きとてか恋しかるらむ

歌の意味:みかの原を湧き出て、原を分けるように流れる川。それをいつみかわ(泉川)というが、そのようにいつ見たので、このように恋しいのだろうか

 

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「みかの原わきて流るるいづみ川」 中納言兼輔

風雅な交流の中心だった紫式部の曽祖父

 

掛詞、縁語などが出てくると、現代語に訳するのが難しいです。

大意をご理解いただき、歌自体を味わっていただければ幸いです。

 

またお立ち寄りください。

どうぞご贔屓に。

 

 

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