安心感の研究 by 暖淡堂

穏やかに日々を送るための試みの記録

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「今はただ 思ひ絶えなむ とばかりを」 左京大夫道雅 権勢の座から落ちた藤原一族

百人一首第63番目の歌の作者は左京大夫(藤原)道雅みちまさ

前回の清少納言の歌を紹介した回にちょっとだけ顔を出した藤原伊周の息子です。

 

今回は左京大夫道雅について紹介します。

 

左京大夫(藤原)道雅とは

生年が992年、没年は1054年

父親が藤原伊周で、祖父が藤原道隆です。曽祖父は藤原兼家

藤原道隆藤原道長とは兄弟なので、道雅にとっては藤原道長は大叔父でしょうか。

 

藤原伊周は、父の道隆が亡くなった後、自分が関白となるものと思い、強引な行動を起こします。

また、藤原道長呪詛、花山法王襲撃などの事件の首謀者ともなり、その結果没落します。

道雅はそのような家で育ちました。

 

普段の素行が悪く、荒三位と呼ばれるような人だったようです。

 

時代背景

この荒三位、左京大夫藤原道雅ですが、恋に落ちます。

その相手が三条院の娘、当子内親王内親王とは天皇の姉妹、娘)でした。

 

道雅はこのとき妻と一男一女の子供がいましたが、その家族とは離別。

そのくらいの激しい恋だったようです。

 

三条院は、道雅が娘のところに通っていることを知り、激怒します。

娘を別邸に移して、さらに番人もつけて道雅が通って来れないようにします。

 

このときに読まれたのが、百人一首に選ばれている歌です。

 

その後、当子内親王は出家しますが、23歳の若さで亡くなってしまいます。

なんだか悲しい結末です。

 

一方の藤原道雅

喧嘩や口論が多かったらしく、荒っぽい一生を送ったようです。

 

花山法王の皇女付きの女房殺害事件の首謀者として名前が出たこともあったようで。

最後まで処遇にも恵まれず、63歳で波乱に満ちた一生を終えました。

 

百人一首の歌

歌:今はただ 思ひ絶えなむ とばかりを 人づてならで いふよしもがな

歌の意味:今はもう想うことは諦めましょうということだけを、人伝でなく直接伝えることができたなら。

 

「今はただ 思ひ絶えなむ とばかりを」 左京大夫道雅 権勢の座から落ちた藤原一族

 

またお立ち寄りください。

どうぞご贔屓に。

 

 

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