百人一首第68番目の歌の作者は三条院です。
第六十七代天皇ですが、藤原道長に強く求められて退位しました。
今回は三条院について紹介します。
三条院とは
生年976年、没年1017年。
冷泉天皇の第二皇子でした。
眼病(おそらく緑内障)により、次第に視力が衰えていたようです。
権力の中心にいた藤原道長は、それを理由に三条天皇に退位を迫りました。
藤原道長は自らの娘の彰子と一条天皇との間に生まれた皇子(後一条天皇となる)を即位させたかったようです。
退位後も醜聞事件に巻き込まれます。
皇女当子内親王と藤原道雅の間で起こった出来事に心を痛めます。
その事件については、以下の記事をご参照ください。
百人一首に選ばれた歌は、そんな生涯を送りつつある三条院の心が込められています。
望むこともなく、つらいことばかりの世の中だが、きっと長く生きていれば今夜の月を恋しいと思うに違いない。
自分の人生を受け入れた言葉のようにも思えます。
そのおっとりとした人柄は、周囲の人に愛されたようです。
すぐ近くに、藤原道長のような人物がいなければ、もっと安定した政権を維持できたかもしれませんね。
時代背景
三条院が眼病を患ったきっかけは、仙丹の服用だったと言われています。
仙丹は不老長寿の妙薬とされていましたが、成分として水銀やヒ素を含んでいました。
当時は、権勢の中心にいた藤原道長が退位を強く迫っていましたが、三条天皇はそれに抵抗していたようです。
そのような状況で、仙丹の服用がきっかけで眼病を患う。
そこに何かのからくりを見てしまうのは、推理小説の読み過ぎでしょうか。
百人一首の歌
歌:心にも あらで憂き世に ながらへば 恋しかるべき 夜半の月かな
歌の意味:願うこともなくこの辛い世に生きながらえるのであれば、恋しいと思うのだろうなあ、この夜の月は
「心にも あらで憂き世に ながらへば」 三条院
おっとりとした人柄が愛された
またお立ち寄りください。
どうぞご贔屓に。
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