百人一首第54番目の歌の作者は儀同三司母。
女房三十六歌仙の一人に数えられています。
今回は儀同三司母について紹介します。
儀同三司母とは
生年が940年、没年は996年頃です。
やはり疫病が流行った頃に亡くなっています。
従二位式部卿高階成忠の娘で、名前は貴子。
高内侍とも呼ばれます。
儀同三司は藤原伊周のこと。
藤原伊周の他に、藤原隆家、一条天皇中宮の定子らを産んでいます。
夫は藤原道隆。
百人一首に選ばれている歌は、道隆が通い始めた頃に書かれたもの。
道隆は、心変わりはしないと誓いますが、いつまでもそれが続くとは思えない。
そう言ってくれている今日、このまま命が終わってしまえばいい。
そんな内容の歌です。
心変わりが心配された藤原道隆ですが、夫としての愛は生涯変わらなかったようです。
儀同三司母は夫にも子供にも恵まれましたが、その生涯を終える頃には藤原道長台頭の影響を受けてしまいます。
息子たちは相次いで失脚。
本人は疫病の蔓延する頃に亡くなっています。
時代背景
儀同三司母も没年が疫病の蔓延していた996年です。
そして藤原道長の権勢が急拡大したのもこの頃。
運も実力のうちなのでしょうが、この疫病がなかったら、どのような平安時代になっていたのか、想像するのも面白いかもしれませんね。
百人一首の歌
歌:忘れじの 行く末までは 難ければ 今日を限りの 命ともがな
歌の意味:忘れはしないと言ってはくれますが、その言葉はいつまで頼りになるでしょう。いっそ今日が限りの命であればと願います。
数人いる妻の一人という立場。
現在では想像が難しいところです。
またお立ち寄りください。
どうぞご贔屓に。
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