安心感の研究 by 暖淡堂

穏やかに日々を送るための試みの記録

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「音に聞く 高師の浜の あだ波は」 祐子内親王家紀伊 恋歌が主題の歌合で披露された歌

百人一首第72番目の歌の作者は祐子内親王紀伊ゆうしないしんのうけのきいです。

後朱雀天皇皇女祐子内親王に仕えていた女房でした。

女房三十六歌仙の一人です。

 

今回は祐子内親王紀伊について紹介します。

 

祐子内親王紀伊とは

祐子内親王紀伊の生没年は不詳です。

百人一首に選ばれている歌は1102年に行われた堀河院艶書けそうぶみ合で披露されたもの。

その時の紀伊は70歳代とされています。

「艶書合」は、男女が恋文を送り合う形で、疑似恋愛を楽しむ会でもありました。

紀伊の歌は、藤原俊忠の次の歌に対して返したもの。

 

人知れぬ思いありその浦風に波のよるこそ言わまほしけれ

(人に知られないように貴女のことを思っています、浦を吹く風に波が寄るように、夜になれば貴女に言い寄りたいのです)

 

この時の藤原俊忠は29歳だったとのこと。

29歳の藤原俊忠が、70歳代の紀伊に、見事な歌を返された場面ですね。

参加した人たちは、そのやり取りにずいぶんと感心し、喜んだことでしょう。

 

時代背景

1100年頃は奥州藤原氏の勢力が盛んになっていた頃です。

有名な中尊寺は1105年、中尊寺金色堂は1124年の建立。

藤原清衡によるものです。

奥州藤原氏は、源義経が一時期身を寄せていたところ。

それが原因となって、後に源頼朝と対立。

弱体化してしまいます。

ただ、その大きな影響力は現代でも生き残っていますね。

 

chusonji2024.jp

 

中尊寺金色堂の建立から900年。

それから現代まで、さまざまなことがありました。

そんなことを思いながら、訪れてみてもよいかもしれません。

 

百人一首の歌

歌:音に聞く 高師の浜の あだ波は かけじや袖の 濡れもこそすれ

歌の意味:噂に聞く、高師の浜に立つといういたづらな波に、かかるつもりはありません。同じように貴方のかける言葉も聞かないでしょう、袖を濡らして泣いたりするといけないので。

 

 

「音に聞く 高師の浜の あだ波は」 祐子内親王紀伊 恋歌が主題の歌合で披露された歌

 

またお立ち寄りください。

どうぞご贔屓に。

 

dantandho.hatenadiary.com

 

奥州藤原氏のドラマは以下です。

原作もとても面白く、お勧めです。

 

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dantandho
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