女房三十六歌仙の一人です。
祐子内親王家紀伊とは
百人一首に選ばれている歌は1102年に行われた堀河院艶書合で披露されたもの。
その時の紀伊は70歳代とされています。
「艶書合」は、男女が恋文を送り合う形で、疑似恋愛を楽しむ会でもありました。
人知れぬ思いありその浦風に波のよるこそ言わまほしけれ
(人に知られないように貴女のことを思っています、浦を吹く風に波が寄るように、夜になれば貴女に言い寄りたいのです)
この時の藤原俊忠は29歳だったとのこと。
29歳の藤原俊忠が、70歳代の紀伊に、見事な歌を返された場面ですね。
参加した人たちは、そのやり取りにずいぶんと感心し、喜んだことでしょう。
時代背景
1100年頃は奥州藤原氏の勢力が盛んになっていた頃です。
藤原清衡によるものです。
それが原因となって、後に源頼朝と対立。
弱体化してしまいます。
ただ、その大きな影響力は現代でも生き残っていますね。
中尊寺金色堂の建立から900年。
それから現代まで、さまざまなことがありました。
そんなことを思いながら、訪れてみてもよいかもしれません。
百人一首の歌
歌:音に聞く 高師の浜の あだ波は かけじや袖の 濡れもこそすれ
歌の意味:噂に聞く、高師の浜に立つといういたづらな波に、かかるつもりはありません。同じように貴方のかける言葉も聞かないでしょう、袖を濡らして泣いたりするといけないので。
またお立ち寄りください。
どうぞご贔屓に。
奥州藤原氏のドラマは以下です。
原作もとても面白く、お勧めです。
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