安心感の研究 by 暖淡堂

穏やかに日々を送るための試みの記録

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「わが庵は都の辰巳しかぞ住む」 喜撰法師 飄々とした世捨て人

百人一首の八首目の作者は喜撰法師

九世紀頃の人で、小野小町などと同時代に生きたと考えられています。

 

今回は喜撰法師について紹介します。

 

喜撰法師とは

宇治の御室戸の奥に住んでいたようです。

鴨長明の「無名抄」にも、喜撰が宇治の山中に住んでいたと紹介されています。

山の中に住んでいて、実は仙人だったとか、不老長寿の薬を作っていたとか、天上に飛び去ったとか、いろいろと言われています。

喜撰の歌にも、世間の目から離れた暮らしを身軽に楽しむ雰囲気が読み取れますね。

 

時代背景

平安時代の初期の頃になります。

最澄空海が中国から帰国してそれぞれの宗派を教え始めた時期。

また、藤原氏が次第に政治の中心で力をつけ始めた時代でもあります。

まさに平安時代の華やかさが都に満ちていたことでしょう。

そんな様子に背を向けて、喜撰は山中に住みます。

そんな寂しいところに、などと人々には言われますが、喜撰は歌で軽く返します。

 

百人一首の歌

歌:わが庵は都の辰巳しかぞ住む 世をうじ山と人はいふなり

歌の意味:私が心地よく住む庵は都の南東、鹿が住むような奥山だ。世を「憂し(うじ)」と思って、私が山中に住んでいると、人々が言っているようだ。

 

喜撰法師 飄々とした世捨て人

 

平安時代の初めの頃は、世の中に勢いがあり、都にも華やかさが満ちていたことでしょう。

しかし、それは上っ面だけのことと、喜撰法師は見切っていたのかもしれませんね。

またお立ち寄り下さい。

ひき続きどうぞご贔屓に。

 

 

 

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