皇子の頃に詠んだ歌が百人一首に選ばれています。
光孝天皇は、先に紹介した陽成院が若くして退位した後に即位した天皇。
その時の年齢は55歳だったようです。
今回は光孝天皇について紹介します。
光孝天皇とは
光孝天皇は、藤原基経によって退位させられた陽成天皇の跡を継いで即位しました。陽成天皇から見ると、祖父の文徳天皇の弟であり、大叔父にあたります。藤原基経は陽成天皇を数えの17歳で退位させ、その代わりに55歳の光孝天皇を即位させるという、随分と乱暴なことをしたようです。光孝天皇は皇子の時代が長く、聡明であり、また諸文化にも長じていたと言われています。百人一首に採用されている歌をみるとよくわかりますね。とても思いやりのある歌を詠める人だったようです。
時代背景
藤原基経が藤原氏の権勢の基盤を着々と強めていった時代です。その力は皇位継承に影響を及ぼすほど。唐では黄巣の乱などが起きていて、唐という国はゆっくりと崩壊を続けています。日本からの遣唐使もまもなく廃止されます。
百人一首の歌
歌 君がため春の野に出でて若菜摘むわが衣手に雪は降りつつ
歌の意味:あなたのために春の野に出て若菜を摘みました。その間、私の衣手には雪がしきりに降り掛かっていたのです。
引き続きどうぞご贔屓に。
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