安心感の研究 by 暖淡堂

穏やかに日々を送るための試みの記録

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北海道に入植した祖父母の生涯を振り返る

祖父は北海道入植後、まず道北(比布のあたり)で農業を始めたようです。それから石狩川沿いに少しずつ南下して、最終的には砂川に落ち着きました。

50歳を過ぎた頃から体調を崩し、入退院を繰り返すようになりました。55歳頃に仕事を退職し、家で畑仕事をしたり、親戚の家を訪問したりしていました。やがて65歳くらいからは入院したままになり、退院することなく亡くなりました。

祖父の暮らしを振り返るのは、自分の終活を始める前の準備の一つだと思っています。以下に簡単にまとめておきます。

皆さんの参考になれば幸いです。

 

 

北海道入植の時期

我が家の家系のルーツは和歌山県にあります。そこから祖父は北海道に入植しました。祖父から直接話を聞いたことがないのですが、年齢などから考えて昭和の初期の頃のことかと思います。

和歌山県からはアメリカ、カナダ、南米や満州、それに北海道に移民として入植する人たちが多かったようです。我が家はその中で北海道を選びました。これがアメリカやカナダだったら、今とはまったく違った暮らしをしているのでしょうね。  

  

祖父の足跡

道北の比布で祖母と出会い、結婚したようです。昭和の一桁の頃ですね。それから新十津川に引っ越し、そこで生まれた子供たちと一緒に暮らし始めます。その場所の近くに行ってみたことがあるのですが、山や沢の近くだったように記憶しています。

その後、野幌に移動したようです。そこでデンプン工場の事業に参画しました。当時のデンプンは北海道の重要な産物だったようです。やがて、日中戦争、太平洋戦争が始まります。その時期に砂川に移動しました。

砂川では、当時の東洋高圧(現三井化学)の工場内で働き始めました。デンプン工場で身に付けたのでしょうか、電気工事の技術を活かして、東洋高圧工場内の配線工事などを下請けしていました。

終戦の頃に農地を手に入れ、そこで亡くなるまで暮らしました。西の方を見ると、初夏まで雪を被ったままのピンネシリが見渡せるところでした。和歌山を出てから20年くらいをかけて、終の住処にたどり着いたことになります。  

 

祖父の定年退職後の過ごし方

農作業が暇になる冬になると、祖母と二人、時には僕や妹を連れて親戚の家に遊びに行ったりしました。その時のことを今でもよく覚えています。汽車やバスを乗り継いで、雪の中を移動しました。親戚の多く住む旭川方面によく行っていました。

祖父の日常の楽しみは晩酌。テレビで相撲中継があるときは、焼酎を飲みながら、放送開始の時間から自分の指定席について、ずっと観ていました。祖父のお気に入りは初代の貴乃花。笑ったり泣いたりしながら相撲の勝負を楽しんでいたのを覚えています。

僕たち孫とも遊んでくれました。古くなったスキーや廃材を利用して、手押しのソリを作ってくれたことがありました。それに僕や妹を乗せて、押しながら、雪の積もった田んぼをゆっくりと歩いてくれたりしました。

のんびりと過ごしていたのですが、祖父は病に倒れます。当時は「脳軟化症」だと言われていました。現在では「脳梗塞」と呼ばれることが多い病気です。それから入退院を繰り返しましたが、65歳くらいからは病院にいたままになり、そのまま亡くなりました。

 

祖父の葬儀

病院から自宅に運ばれた祖父の遺体は、仏間に北枕で寝かされました。猫を飼っていたので、遺体に掛けられた布団の上にカミソリが置かれていました。死んだものに猫が取り憑くのを防ぐ意味があったようです。

近所のおじさんが、朝早くから、親戚や近所の人に電話で連絡をしてくれていました。おじさんは町内会で、その当時の葬儀委員長になる当番だったようです。仏間にはずっと祖母が座っていて、焼香に訪れた人たちと小声で話していました。

午後に湯灌。白木の棺桶に入れられた祖父の遺体は、市内のお寺に運ばれました。家族もすぐにお寺に移動、そのままお通夜になりました。

その夜のことをよく覚えています。お通夜があったのが、昭和50年8月17日でした。この日、北海道では大雨が降り、石狩川が氾濫しました。お寺で一夜を過ごしたのですが、ずっと雨がお寺の屋根を叩く音が聞こえていたのを覚えています。

ja.wikipedia.org

 

翌日は雨の勢いは弱まりましたが、葬儀や焼き場での待ち時間の間も雨は降っていました。葬儀では、寺の本堂に大きな祭壇が作られたのですが、雨で暗く、天井近くの暗がりに何かがいそうな感じがして、怖いけど目が離せない、そんな状況でお経を聞いていました。骨壷が自宅の仏壇の前に戻ってきた頃に、やっと雨が上がりました。

遠くから来た親戚が数人、我が家に泊まっていました。みんなでテレビを観ながら、石狩川の氾濫や国道12号線の冠水などの光景に驚いていました。

  

*☺☺☺☺☺*

まとめ 

享年67歳。今から見ると、とても若いですね。現時点の自分の年齢から10歳だけ上です。もし自分に残されている時間が10年だとすると、暮らし方をはっきりと変えていかなければいけません。

祖父のことを思い出すと、そんなことを考えたりします。  

自分の終活を始めるのに、もう早過ぎることはないですね。 

 

*☺☺☺☺☺*

 

 

 

 

北海道に入植した祖父母の生涯を振り返る

 

祖父が亡くなった年齢まで、もう10年もありません。自分に残された時間を大切にしようと改めて思います。またお立ち寄りください。どうぞご贔屓に。

 

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