父母が結婚して、祖父母と一緒に住むことになったので、新しく家を建てました。
それも、やはり自分達の手で建てたとのこと。
当時はそれが普通だったみたいです。
入植者、開拓者って、自分でなんでもできないといけなかったのかもしれません。
新しい家は二階建て。
コンクリート製の大きな煙突が作られていました。
遠くから見てもすぐにわかる、我が家の目印になっていましたね。
今回は、自分が子供の頃の実家の周りのことを書いた部分です。
庭と呼べる部分はそれほど広くはありません。
家と畑や田圃との間にあるスペースを庭と意識していました。
北海道で育つ木や花が多かったですね。
農作業の合間に、祖母が花を植えたりしていました。
素朴な花ばかりでしたが、季節ごとの彩りになっていたと思います。
そんな木や花のことも思い出すまま書いてみました。
北海道の道央地区の、農村地帯の風景です。
【沙河】昭和四〇年~昭和五〇年 (三)①
家の東向きの玄関の先に、南北に延びる道路があった。
車通りはほとんどなく、人々は徒歩や馬車で行き交った。やがて少しずつ自動車の交通量が増えると、丁度車輪の幅の轍が残るようになった。何かの加減で土が深く掘れてしまい、雨が降ると大きな水溜りができた。
それを埋めるために、本格的な夏が始まる前、冷たい雨の季節が終わる頃に、道路に砂利が敷かれるようになった。まず、大型のダンプカーで砂利を撒き、グレーダーでそれを平らに均した。その後は、自動車は走りやすくなるようだった。
それでも、夏には道路の所々に背の高い雑草が力強く伸びた。砂利を撒くのは、それを防ぐ意味もあったのかもしれない。しかし、雑草は力強く芽を出した。車輪の轍の間には、雑草の緑の帯が、道の涯まで続いていた。
家の周囲にはたくさんの木が植えられていた。
玄関と道路の間の狭い庭には、紅葉、洋梨が、家の北側にはサクランボの実をつける西洋実桜や、洋梨がさらに数本、さらに西側にはグースベリーの低木があって、茂みを作っていた。
家の南側は花畑になっていて、そこにオンコの木もあった。これらの木々は、季節になれば果実を実らせ、あるいは紅葉で目を楽しませたりした。
「沙河」(暖淡堂書房)から
僕が生まれた頃の、我が家の周囲の様子 道央地区の一般的な農家の庭の風景【沙河6】
またお立ち寄りください。
どうぞご贔屓に。
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