こんにちは、暖淡堂です。 今回は「義経記」の三回目。 源義朝が都落ちするときに一緒に逃げた子らの最後になります。 頼朝は逃げる途中ではぐれてしまっています。 義朝は、悪源太に北国の勢力を駆り集めよと命じ、越前の浦に送った。しかし、それはうまく…
こんにちは、暖淡堂です。 コロナ禍が始まった頃のブログ記事を転載します。 割と呑気に過ごしていたのがバレてしまいますが。 もう4年前のことになるのですね。 時間が過ぎるのは早いものです。 以下、他ブログの過去記事(2020年3月2日の日記)を転載。 や…
百人一首第85番目の歌の作者は俊恵法師しゅんえほうしです。 東大寺の僧にして、歌人でもありました。 今回は俊恵法師について紹介します。 俊恵法師とは 生年は1113年、没年は1191年。 父は源俊頼(百人一首74番の歌人)です。 dantandho.hatenadiary.com …
速度差 〝私〟は 希薄な流体の速度差が生み出す 濃淡の、層状の、互いに混じり合わない 白い空間に置き去りにされる 柔らかな身体と、硬い嘴をもつ 雛の群の中に放り出されたように 〝私〟の身体は 心地よさと痛みとを同時に感じる それは不意に熱く、不意に…
こんにちは、暖淡堂です。 時々、こんなことを思ったりします。 「人類が滅んだ後には、何が残るのだろうな」 建物や機械なんかは、残骸が残りますね。 人類の後の何者かがそれを見ることがあったら、まあ、ガラクタがあるなあくらいに思うかもしれません。 …
こんにちは、暖淡堂です。 色々と勉強しないといけないのですが、ついつい動画を観てしまっています。 まあ、急がないといけない勉強でもないので、こんな感じでもいいかな、なんて。 自分に優しくしている午後ではあります。 それはそれとして。 アリスのオ…
高校三年間を通じて、僕はずっと母親に髪を切ってもらっていた。当時はとても見た目を気にしていた。それなのに、床屋にいって、好みの髪型を説明するのがとても面倒くさかった。また、それが恥ずかしくもあった。自分が周囲からどう見られたいのかを、他人…
晴れ 今朝は晴れ 山にかかる雲の端が 赤く染まっている 雲の切れ間にのぞく空が 青白く光っている 立ち止まれば 妻が背中を支えてくれる 娘が手を握ってくれる 生きていくのに さらに何が必要だというのか 今朝は晴れ もう一度夢を見よう もう一度、夢を見よ…
シラチャスカパープ公園の夕方 2010年7月末頃の続き。 インドに出張して訪問した大学の学生が、僕がマネージャーをしていた研究施設を訪問した。 まだあちらこちら工事中だったが、一通りみて、それなりに満足してくれたようだった。 その学生は、数ヶ月後に…
元日 神社に行った家族でお参りした家から半径五十メートルをこえなかった 今年はできれば自分の足で行ける範囲で生きたい そんなことを思ったりした 雪が降っていた静かな一日だった ***** これも2008年の元日に書いた詩です。 自宅のすぐ裏手に神社が…
落ち着いている 姿のよいひとは、落ち着いている。世の中がざわざわしていても、右往左往しない。大声で騒ぐ人たちが周囲にいても、まるで別のものを聞いている。ずっと遠い過去から、多くの人たちによって伝えられてきた、大切な言葉に耳を澄ませているのだ…
こんにちは、暖淡堂です。 アリスⅥとアリスⅦの間の時期の曲で、オリジナルアルバムに未収録の曲があります。 先に紹介した「君よ涙でふりかえれ」がその一曲。 で、今回紹介する「逃亡者」もオリジナルアルバム未収録です。 「夢去りし街角」のB面でした。 …
最近の葬儀は葬儀会場を使うことが多いですね。 昭和の頃の北海道の実家の辺りでは、自宅を使うか、お寺で行っていました。 普段行くことのないお寺の中を見ることができる貴重な機会でした。 本堂の仏像などを見ることができ、子供ながら、宗教というものが…
加賀前田藩の宿老本多政長が江戸城に現われる。加賀藩江戸藩邸での不祥事の弁明をするために登城したのだ。 本来であれば加賀藩江戸筆頭家老の横山大膳が出頭するはずだった。 横山大膳は直臣への取り立てを願い、大久保加賀守とともに、加賀前田藩を陥れる…
こんにちは、暖淡堂です。 年末年始はこの本を読んでいました。 「豆腐小僧 双六道中ふりだし」。 2003年11月30日第一刷発行です。 もう何度目なのかわかりません。 そして、読み返すたびに、十分に楽しめています。 そのくらい、いつも新鮮な味わいがあって…
今年の雪 色々な街で 降る雪を眺めた 冷たくもあり、暖かくもあり ひたすらに白く、また暗い影を孕み あるいは、零下の夜気を吸い、青く光り 今年は 軽やかに舞う雪になった この 西の街で ***** 2008年の元日に書いた詩です。 当時は山口県に住んでい…
百人一首第84番目の歌の作者は藤原清輔朝臣ふじわらのきよすけのあそんです。 平安末期、藤原俊成とともに歌壇を牽引した大御所です。 今回は藤原清輔朝臣について紹介します。 藤原清輔朝臣とは 生年は1104年、没年は1177年。 この人も藤原北家の一人。 平…
物を大切にする 姿のよいひとは、物を大切にする。乱暴に扱ったりしないので、使い込まれた物も、壊れてはいない。古くなった部分は交換され、擦り切れたところは手当がされている。だから使い込まれた物が、その人オリジナルのものになっている。 少ない物…
こんにちは、暖淡堂です。 前回の続きです。 源義経の父、源義朝が平治の乱に敗れて京の都から逃げる場面です。 源義朝に従った子供達の中には、まだ年若い源頼朝がいました。 一方の義経ら、常盤御前の子供達は含まれていません。 この辺りが、後々の頼朝と…
走り去るもの 電車の音が近づき、離れていく 雪混じりの風が窓硝子を叩く 日々が去り日々が訪れる ここ、にいるはずの僕が一番初めに 走り去る あの雪山の細い枝は きっと風に鳴っている ***** 子供達が、夕暮れ時に、外で遊んでいる。 その声を聞きな…
石狩川に関して、とてもさみしい思い出がある。小学校の同学年だった女の子が、彼女の母親と一緒に入水自殺したのだ。 小学校五年か六年の頃だったと思う。僕は通夜にいった。明るい部屋に、たくさんの人がいたが、誰もが黙り込んでいた。地元の子供会が同じ…
こんにちは、暖淡堂です。 昔、大学生の頃、バントをやっていたのですが。 練習場として畑に囲まれた古い一軒家を借りていました。 旭川空港まで10分くらいのところ。 で、そこからさらに車で5分くらいのところに、安全地帯が練習していた場所もありました。…
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また、一歩 僕は、ついさっき考えていたことの上に立っているさっき、していたことの上に立っているさっきまであったものはすべて、僕の足の下にあるのだそして、僕の前には真っ暗な、底の見えない闇があるだけどこに向かって足を進めたらいいのかまるでわか…
清潔である 姿のよいひとは、清潔である。衣服が汚れていない。新しいものでなくても、洗い立てのものでなくてもいい。汚れた部分を放置していない。汚れは、その都度落とすようにしている。定期的に衣服の点検をしている。そして、傷んだもの、古くなったも…
こんにちは、暖淡堂です。 風邪ひきとしての正しい一日を過ごしました。 多くの方からあたたかいコメントをいただきました。 妻からも僕の反省を促す言葉をもらい、ちょっと考えながら休んでいました。 で、休んでいると、それなりに暇なのでついついPCを触…
夜中のうちに祖父の遺体は家に運ばれていました。 座敷に敷かれた布団の中に横たえられていましたが、なんだか知っている祖父よりもずっと小さく見えました。 なにかが抜け出て、しぼんでしまっているようでした。 朝からよい天気だったことを覚えています。…
こんにちは、暖淡堂です。 喉がいたくて、肩や首の周りに強張りのような、不快感があります。 くしゃみがでて、咳が出て。 風邪ですね。 久しぶりのことです。 ずいぶん長い間風邪をひいていませんでした。 年を取って、いろんなことに鈍くなっているので、…
百人一首第83番目の歌の作者は皇太后宮大夫俊成こうたいごうぐうのだいぶしゅんぜいです。 藤原俊成で、百人一首の選者藤原定家の父にあたります。 歌道の大家ですね。 今回は皇太后宮大夫俊成について紹介します。 皇太后宮大夫俊成とは 生年は1114年、没年…
こんにちは、暖淡堂です。 辛いことも、楽しいことも、ただぼんやりと過ぎていくことも、すべて「いつかは終わる」ものですね。 世の中では早く終わらないかなと多くの人が願っているものがたくさんあります。 それらも、個々にはいつかは終わるのだろうと思…