こんにちは、暖淡堂です。
前回の続きです。
源義経の父、源義朝が平治の乱に敗れて京の都から逃げる場面です。
この辺りが、後々の頼朝と義経の運命を分けていったように思います。
父の源義朝は、平治元年十二月二十七日に、後白河上皇の寵臣、衛門督(えもんのかみ)藤原信頼(のぶより)に味方し、京で繰り広げられた戦に敗れ、代々源家に仕えてきた郎等らも皆討たれてしまい、残ったわずか三十騎余りとともに東国の方に落ちられた。義朝の子のうち、元服を済ませた子らを引き連れ、まだ幼い子らは都に捨て置かれた。義朝につき従ったのは、嫡子、鎌倉の悪源太義平(よしひら)、次男、中宮大夫進朝長(ともなが)十六歳、三男、兵衛佐頼朝(よりとも)十二歳らであった。
現代語訳:暖淡堂
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義経記 巻第一 義朝都落(みやこおち)の事(二)
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