こんにちは、暖淡堂です。
「義経記」の四回目。
そのうちの一人、牛若が後の源義経です。
そのほかに腹違いの子供は多くあった。尾張の国熱田の大宮司の娘との間にも子があった。遠江蒲(とうとうみかば)というところで成人したので、蒲の御曹司(おんぞうし)と呼ばれている。のちの三河守(みかわのかみ)がこの人である。
九条院の雜仕(ぞうし)常盤(ときわ)とも三人の子があった。今若七歳、乙若(おとわか)五歳、一番下の牛若は生まれたばかりであった。
現代語訳:暖淡堂
*☺☺☺☺☺*
タイトルの付け方のルールを考えてみました。
これでインデックスされるかなあ。
義経記 巻第一 義朝都落(みやこおち)の事(四)
にほんブログ村