安心感の研究 by 暖淡堂

穏やかに日々を送るための試みの記録

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百人一首の歌人

「これやこの行くも帰るも別れては」 蝉丸 盲目の琵琶法師が行き交う人たちに思う

百人一首の第十歌の歌人は蝉丸です。 夢枕獏さんの「陰陽師」シリーズにも時々登場します。 ご存知の方も多いかと。 今回は蝉丸について紹介します。 蝉丸とは 時代背景 百人一首の歌 蝉丸とは 盲目の琵琶法師だったと伝えられています。逢坂の関(山城国と…

「花の色はうつりにけりないたづらに」 小野小町 情熱的な恋愛歌の作者

百人一首の九首目の作者は小野小町。 前の喜撰法師と同じく、九世紀頃に生きた人です。 小野小町、名前は知っている人も多いかもしれませんね。 今回は小野小町について紹介します。 小野小町とは 時代背景 百人一首の歌 小野小町とは 名前から小野氏の娘で…

「わが庵は都の辰巳しかぞ住む」 喜撰法師 飄々とした世捨て人

百人一首の八首目の作者は喜撰法師。 九世紀頃の人で、小野小町などと同時代に生きたと考えられています。 今回は喜撰法師について紹介します。 喜撰法師とは 時代背景 百人一首の歌 喜撰法師とは 宇治の御室戸の奥に住んでいたようです。 鴨長明の「無名抄…

「天の原ふりさけ見れば春日なる」 阿倍仲麻呂(仲麿) 唐の衰亡を見続けた才人

百人一首の七首目の作者は阿倍仲麻呂(仲麿)。 遣唐使として中国大陸に渡り、現地で重用されました。 任期が終わり、帰国の途についた時に詠んだ歌が百人一首に収められています。 ただ、残念ながら阿倍仲麻呂は帰国できなかったようです。 今回は阿倍仲麻…

「鵲の渡せる橋に置く霜の」 中納言家持(大伴家持) 戦乱の世の武門の歌人

百人一首の六首目の作者は中納言(大伴)家持とされています。 百人一首に採用された歌は「家持集」に入っていたので、大伴家持の作とされていましたが、現在は他人の作とされているようです。 今回は中納言家持(大伴家持)について紹介します。 中納言家持…

「奥山に紅葉踏み分け鳴く鹿の」 猿丸太夫 奥山の暮しへの憧憬

猿丸太夫は奈良時代の歌人です。 36歌仙の一人なのですが、この人もその正体がよくわかりません。 生没年不詳。太夫というので、なんらかの官位についていたと考えられるのですが、その記録がありません。 作品だけが知られる、不思議な人です。 今回は猿丸…

「田子の浦にうち出でてみれば白妙の」 山部赤人 歌聖が歌う富士の絶景

富士山 百人一首の4首目は奈良の宮廷歌人、山部赤人によるものです。 絵画や写真を見るように、風景がありありと目に浮かびます。 36歌仙の一人ともされていて、自然叙景を得意とした歌人です。 今回は山部赤人について紹介します。 山部赤人とは 官位は高く…

図説 地図と由来でよくわかる! 百人一首 吉海直人[監修]

百人一首には、古くは天智天皇から選者の藤原定家まで、様々な時代の多くの歌人の歌が選ばれています。 これらの歌の舞台がどのような土地であったのか。 そこに注目して作られたのがこの本です。 それぞれの歌には由来と関連する土地の地図が添えられていて…

「あしびきの山鳥の尾のしだり尾の」 柿本人麻呂 「伝人麿作」 伝説の歌聖について

百人一首の第三首の作者は柿本人麻呂とされています。 これは、現在では本人の作ではないとの解釈で落ち着いているようです。 読み人知らずとして「万葉集」にあるものを、その後の人たちが「人丸(ひとまる)」作と伝えるようになり、それがやがて「人麻呂…

百人一首の謎を解く 草野隆

百人一首の作者について学び直しているところですが、百人一首自体がどのように成立したものなのかが気になっていました。 それで見つけたのがこの本です。 一般には藤原定家によって選ばれたもの、小倉山荘という建物の障子絵に添えられた色紙に書かれたも…

「春過ぎて夏来にけらし白妙の」 持統天皇 おだやかな世への願い

百人一首の第二首の作者は持統天皇です。天智天皇の娘、女帝です。 歌われている情景はとてもおだやかなもの。 壬申の乱の後の時代。何事もなかったとも思えません。 平穏な日々を望む持統天皇の理想でしょうか。 あるいは人々の願望に耳を傾けたものだった…

「秋の田のかりほの庵の苫をあらみ」 天智天皇 庶民の視点を持てる国家指導者

百人一首の第一首の作者は天智天皇とされています。 粗末な暮らしをしている人物の歌のような雰囲気ですが、様々な大改革を自身で進めてきた国家の指導者にようものです。 こんな歌を詠んだ天智天皇とはどんな人物か気になりませんか? そして、どんな時代に…

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