百人一首の作者について学び直しているところですが、百人一首自体がどのように成立したものなのかが気になっていました。
それで見つけたのがこの本です。
一般には藤原定家によって選ばれたもの、小倉山荘という建物の障子絵に添えられた色紙に書かれたものというようにいわれています。
この本の著者草野隆さんによれば、通説にはいくつかの不明な点があり、それが解明されないと百人一首の成立の過程が理解されないとのこと。
草野さんの解明の過程が、この本で述べられています。
この本を読んで勉強になったのは以下の2点です。
・藤原定家は誰のために百首の歌を選んだのか
・藤原定家に選集を依頼した目的はなにか
・藤原定家は誰のために百首の歌を選んだのか
藤原定家の日記「明月記」の中の記述に「天智天皇から家隆、雅経までの歌を選んだ」とあり、一般には、これが百人一首に相当すると考えられています。この記述から、百人一首の歌を選ぶ作業は、嵯峨中院山荘の主、蓮生の依頼によるものであったと読み取れます。つまりこの蓮生が藤原定家に頼んだのです。蓮生は鎌倉幕府の御家人であり、のち出家して僧となりましたが、出家後も幕府の要人として働いていました。また、財力もあったようです。藤原定家とは個人的なつながりがあり、藤原定家の子、為家の妻の父親でもありました。
・藤原定家に選集を依頼した目的はなにか
蓮生の嵯峨中院山荘は、自身が帰依する浄土教の信仰を表現する建物となっていました。山荘の建物の障子に貼る色紙のための和歌の選定を藤原定家は依頼されたようです。蓮生は熱心な浄土教信者であり、色紙に書かれる和歌は、この世の無常、悲しさと、浄土での救済、成仏を願わせてくれるようなものにしたかった。そのような要望を藤原定家に伝えました。それで選ばれた和歌の多くは、この世の辛さ、苦しさ、空しさなどを題材にしたものが多くなっているようです。また、選ばれている歌人も、いずれも不幸の中に亡くなったり、不幸な生涯を送った人が中心とのこと。
百人一首の和歌の作者を順に紹介していきますが、この本を読んで、いっそう個々の作品の背景や、作者が生きた時代に関心が湧きました。
とても面白い本なので、百人一首に限らず、広く歴史にご関心のあるかたも是非ご一読ください。
ゲーム(スポーツ?)としての百人一首はやったことがないのですが、和歌の撰集としての百人一首は時々読み返しています。
古文の勉強し直しも兼ねています。
色々と発見することも多く、楽しい読書になっています。
古典、まだまだ読むべきものはたくさんありますね。
新しい本もどんどん出てきますし。
この後、どのくらい読めるのだろう…
読み続けなくちゃ。
またお立ち寄りください。
どうぞご贔屓に。
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