安心感の研究 by 暖淡堂

穏やかに日々を送るための試みの記録

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名前をつけるのは何のため? 【安心感の研究】猫は一度目の一度切りを生きている(4)

たくさんのヒト

たくさんのヒト

こんにちは、暖淡堂です。

 

みんな違う人間なのに、1人、2人、と数えられるのは、誰であれ「ヒト」と呼ぶことにしているからですね。

だから数えることができます。

 

でも、「ヒト」と呼ばれたり、数えられる対象になった場合、そこにはすべての個性や個別の状況が含まれていません。

誰もが、数えられると、ただの数のうちの「1」になってしまいます。

それは便利なことでもあり、また、多くの問題を生じることでもあります。

 

そんなことをつらつら考えてみました。

 

猫は一度目の一度切りを生きている(4)

 

同じものになるためには、同じ名前で呼ばれないといけない。

ヒト、あるいは人間と呼ばれている僕たちも、それぞれに、それぞれの程度で違っているが、ヒトと呼ぶことで数えることができるようになる。

五人家族、十人家族、などという場合がそうだし、町の人口などという場合もそうだろう。

ある住所に住む、何歳の、血液型は何型で、というように特徴を加えていったら、それはどこかの段階で、特定の一人を指すことになってしまう。

 

そういうことをしないので、人口という数値を見積もり、使うことができるようになる。

人口という数値は、社会では重要なもので、人口当たりの病院数、学校数、公園数、あるいは感染者数などが他の地域と比べられるようになり、それが地域ごとの暮しの質を上げるのに役立ったりする。

役所の仕事は、ヒトを数えられるので成り立っているといえる。

 

それを、例えば足利直義が鎌倉にいた、という情報だけでは、鎌倉にどれだけ学校や図書館を建てたらいいかわからない。

それに佐々木道誉もいたという情報を加えても、今の公園数で足りるのかどうか、判断ができない。

やはり、ヒトの数を数えないといけない。

ここにいるヒトと隣にいるヒトとは、同じヒトであり、それが何人いるのかを数えるのだ。

おじいさんなのか、子供なのか、会社に勤めているのか、家で仕事をして稼いでいる人なのか。

後醍醐天皇を崇拝しているのか、源氏の結束のみを考えているのか。

 

そんなことは考えないで、ヒトはヒト、一人は一人と数えるのだ。

高師直、大塔宮、赤松円心、合わせて三人である。

 

そのように、同じものといえることは、便利なことなのだろう。

おそらく、ヒトが社会生活を送るうえでは、不可欠なことなのかもしれない。

 

しかし、僕はすでに、本当に同じものなどないことをわかっていて、そういっている。

 

例えば北条高時という人が数人いたとする。

しかし、その数人はそれぞれ違う。

鎌倉時代の終わり頃にいた人と、明治の頃に箱根の温泉場で過ごした人と、昨日イオンモールで値引き後の総菜を買った人とは違うのだ。

 

そういうそれぞれの違いを考えないことにしたもの、そうしたものだけが同じものとされ、数えることができるようになる。

 

北条高時が三人。しかし、みんな別人だ。

 

僕自身はどうだろう。僕は一年前と今とでは、同じ名前で呼ばれている。

去年の今頃呼ばれていた名前で呼ばれると、僕は今でも振り返る。

それが自分の名前だと思うからだ。

僕はその名前の人物だと思っているからだ。

 

仮に、僕と同姓同名で、同性で、年齢も同じで、同じくらいに白髪になっていて、見た目がまったく同じ人に出会ったとする。

そのとき、僕はおそらく、いや間違いなく、こう思うだろう。

 

「ああ、僕に似た人がいるな」

 

僕は決して、自分がそこにいるとは思わないのだ。

なぜなら、僕はここにいるからだ。

そこにいる、なにかはわからないが、僕によく似ているなにかとは、絶対に違うのだ。

ここにいて、そこにいる僕によく似たなにかを見ている僕以外には、僕はいないのだ。

 

では、僕自身はどうなのだろう。ずっと同じなのだろうか。

一年前の僕は、この一年で僕が経験したことをまだ経験していない。

一年分若い。なので、一年前の自分と今の自分とは同じではない。

 

そういえば、先日巻き爪のところが赤く腫れていた。

去年は大丈夫だった。なので、一年前の自分とは、間違いなくそこが違う。

 

なにか、違うものが混じってきた気がする。

同じ名前で呼ばれていて、特徴を加えることで別のものになるもの。

同じ名前で呼ばれていて、一つきり、一人きりで、他には存在しないが、それ自身変わり続けるもの。

 

ここでも、まとめておこう。

同じものは、二つ以上はない。同じ人も二人いない。

そして、一つ切りの同じものでも、ずっと同じではない。

 

でも、同じことは何度も繰り返すではないか。

そして、僕を不機嫌に、不愉快にさせ、また不安にさせている。

 

あの人たちが、声高に僕を批判し、貶める機会を探し続けている。

僕の言動のあらさがしをしている。

なぜそのような状況が、続くのか。続くと思っているのか。

そんなことが、どうして繰り返すのか。

 

猫は一度目の一度切りを生きている(4)

名前をつけるのは何のため?

 

続きです

同じ名前で呼ばれることで、どのようなことが起こるか考えてみました。

 

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どうぞご贔屓に。

 

 

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