こんにちは、暖淡堂です。
心術上の第七回目です。
今回は知識について。
誰でも知識を求めますが、その知識を求めるということに対して、干支の心術では次のように言います。
心術上第三十六(短語十)
原文
人皆欲智、而莫索其所以智乎。智乎、智乎。投之海外、無自奪。求之者、不得處之者。
書き下し文
人は皆智を欲するが、その智の所以を求むるなし。智か、智か。これを海外に投じれば、自ら奪はるる無し。これを求むる者は、これにおることを得ざる者なり。
現代語訳
人は誰でも智を求めるが、智の大本を探ろうとはしない。智か、智か。智など世界の涯に捨ててしまえれば、それに心を奪われてしまうこともないだろうに。智を探し求めれば、本来いるべき場所にいることができない。
「菅子四篇」暖淡堂書房より
<簡単な解説>
出世したり、人よりも得をして少しでもいい暮らしをしたり。
そのためには他の人よりもより確かな情報を、より早く得ようとします。
ときにはその情報の真偽の確認は二の次。
あるいは、より多くの知識を得て、他の人よりも優れていると言われたがったり。
そして、人は情報や知識を得るということに没頭し始めたりします。
すでに手に入れている情報や知識では不足していると感じてしまうと、四六時中情報が得られる環境下にいないと不安になってしまう。
それでは、人が本来いるべき場所にいることができなくなってしまいます。
余分な情報や知識を得ようとするのは、どこかの段階でやめて、心を静めて、余計なものを追い出して、ゆったりと過ごすのがよいと、管子心術は言います。
菅子四篇 心術上 (7)
智乎、智乎。投之海外、無自奪。
知識を求め続けることの虚しさ
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東洋思想の源流を概観するのにも効果的な書物になっています。仏教が中国に受容され、その後禅として発展したことの背景も理解できるかもしれません。
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