安心感の研究 by 暖淡堂

穏やかに日々を送るための試みの記録

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心之在體、君之位也。春秋時代から伝わる心術の歴史:菅子四篇の心術から

こんにちは、暖淡堂です。

 

皆さんは、心と身体の関係について考えたことはありませんか?

 

この関係について、2500年以上も前に書かれた書物があるのをご存知でしょうか。

それが「管子」と呼ばれる書物の中の「心術」という篇です。

 

「心術」は、上下篇に分かれ、他の「白心」篇、「内業」篇と合わせて「管子四篇」と呼ばれています。

 

 

「管子四篇」は、現代を生きる私たちにとって、とっても示唆に富んだ書物なのですが、丁寧に解説している本はあまり目にしません。

それは非常に残念なことです。

 

そこで、この書物について、少しずつですが詳しく解説していきます。

漢文の読み方も必要最小限説明しますので、古典の読み方の参考にしていただければ嬉しいです。

 

今回は、「心術」の冒頭の部分を紹介します。

心之在體、君之位也。

漢字8文字ですが、旧字も混じっていて難しそうですね。

これを、以下の流れで読んでいこうと思います。

 

  • 心之在體
  • 君之位也
  • 心と君の関係

 

心之在體

之は「~の」または「~が」の意味です。また、體は体の古い書き方です。

この文を読み下しにすると

「心が体にあるは」

のような感じになります。

 

おお、と思われる方がいらっしゃるかもしれません。

中国の古代、春秋時代(紀元前771年から紀元前403年。諸説あり)に、すでに心と身体は別のもの、すなわち「心身二元論」で説明されてる文章があったのか、と。

 

確かに存在しました。そして「管子四篇」の「心術」は、「心身二元論」風の立場で論を進めています。

 

 

君之位也

君は君主、国主のことです。春秋時代であれば、周の王、諸国の国主などになります。

主というくらいの意味になるかと。

これを読み下し文にすると、

「君の位なり」

となります。

 

前の文とつなげると、

「心が体にあるは、君の位なり」

その意味は、

「身体の中にある心は、主としてあるのだ」

となります。

 

心身二元論」であり、さらに

心>身

としているように読めます。

 

心と君

 

ところで、「管子」の別のところ(形勢篇)では、こんなことをいっています。

 

「君、君たらざれば、則ち臣、臣たらず」

 

これは、「指導者が指導者としての器でなければ、臣は臣としてふさわしい行動はとらない」というような意味です。政治の世界で大きな動きがあるたびに、耳にしますね。

 

で、この「君」が、上で見てきた文にも響いています。つまり、心=君であり、さらに心が主としてふさわしい態度をとらないと、身体は調子が狂ってしまうよ、といっているように読めます。

 

これが「心術」全体のモチーフになります。

 

 

「管子四篇」の「心術」は、中国春秋時代の文章ですが、近代、近世の西洋哲学の視点と交叉する部分が多い書物です。

 

ご関心を持っていただけるような文章を心がけながら、引き続き、少しずつ紹介したいと思います。

コメントでご質問などいただければ嬉しいです。

 

どうぞよろしく。

 

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dantandho

 

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