漢学者としては当代随一と言われました。
今回は前中納言匡房について紹介します。
前中納言(大江)匡房とは
生年が1041年、没年は1111年。
大江匡衡と赤染衛門(百人一首59番目の歌の作者)の曾孫です。
大江家は代々学者の家系。
国房もまた学者として高く評価されていました。
子供の頃には神童とも呼ばれていました。
後冷泉天皇、後三条天皇、白河天皇、堀河天皇、鳥羽天皇らに支えました。
特に白河天皇期および退位後の院政期には、その意見が重用されていたようです。
晩年、大宰権帥を務め上げ正二位に叙位されます。
任期後に、所領をめぐり興福寺西金堂衆と対立し、荘園を襲われるということがあったようです。
その後、再び大宰権帥に任官されますが、病気もあって下向できず、しばらくして亡くなってしまいました。
時代背景
百人一首第71歌の作者大納言経信の記事で、経信が朱雀門の鬼と出会ったというエピソードを紹介しました。
蔵書の「十訓抄」の目次を見ていたら、「朱雀門の鬼」という項目がありました。
まったく頭の中に残っていないというのも、すごいなと思いつつ、以下に簡単に紹介します。
笛の名手、源博雅(夢枕獏さんの「陰陽師」シリーズの主要な登場人物でもありますね)が美しい月の夜、朱雀門の前で笛を吹いていました。
その時、源博雅と同じような姿の男が非常に見事な笛の音を合わせてくるので、誰なのだろうと思ったのですが、声をかけることはありませんでした。
何度か同じように笛の音を合わせあうことがあり、源博雅はその男と笛を交換してもらいました。
その笛は、この世のものとは思えないほどのよい音を出すものでした。
源博雅は、その男が誰なのか知ることなく亡くなってしまいます。
後、帝がこの笛を浄蔵に吹かせてみました。
浄蔵もまた笛の名手でした。
帝は源博雅が、この笛を朱雀門の近くで手に入れたことを聞いて知っていました。
そこで浄蔵に朱雀門のところで笛を吹いてみるように命じます。
そうすると、門の上の方から「なお逸物かな(まったくたいした笛だ)」という大きな声が響きました。
そのことを浄蔵は帝に報告します。
そのことから、帝をはじめ、人々は、この笛が鬼の持ち物であったとわかったということです。
百人一首の歌
歌:高砂の 尾の上の桜 咲きにけり 外山の霞 たたずもあらなむ
歌の意味:高い山々の峰に桜が咲いている。山里の霞よ、どうか立たないでくれないか。
またお立ち寄りください。
どうぞご贔屓に。
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