「源氏物語」の作者として有名ですね。
以前、古典作品と著作権関連で書いた記事があります。
ご参照ください。
今回は紫式部について紹介します。
紫式部とは
生年が973年頃、没年は1031年頃とされています。
生没年には諸説あるようです。
父は藤原為時。
夫は藤原宣孝。
藤原北家に連なり、花山天皇の蔵人などにも任ぜられた人でした。
この夫との間に、百人一首第58番目の歌の作者大弐三位が生まれています。
大弐三位については次回紹介します。
夫の藤原宣孝が亡くなった後、自宅で書いていたのが「源氏物語」。
この作品が一条天皇中宮彰子らに認められて多くの読者を得ました。
この百人一首に選ばれた歌は、一見、恋歌のようにも見えます。
出典の「新古今和歌集」詞書に「はやくより童友達に侍りける人の、年ごろ経て行きあひたる」とあり、幼馴染と久々に行きあったときのことを詠んだ歌だとわかります。
それを知らなかったら、「もし恋歌だとしたら、その相手は」、などと想像してしまったかもしれませんね。
時代背景
「源氏物語」はオリジナルが残っていません。
少し前になりますが、百人一首の選者である藤原定家が書き写したものが見つかったというニュースがありました。
人類の財産として大切に残していきたい一冊ですね。
百人一首の歌
歌:めぐり逢ひて 見しやそれとも わかぬ間に 雲隠れにし 夜半の月かげ
歌の意味:久々にめぐり逢えたというのに、それとも気づかずに別れてしまいました。まるで月が、それとも知らぬうちに雲に隠れてしまったようです
「めぐり逢ひて 見しやそれとも わかぬ間に」
紫式部 幼馴染との短い再会を歌った一首
和歌の才能よりも物語を書く方が優れている。
そう評価されていたようです。
確かに、「源氏物語」は、世界中に愛読者がいますものね。
またお立ち寄りください。
どうぞご贔屓に。
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