「蜻蛉日記」の作者としても知られていますね。
また、清少納言らと共に女房三十六歌仙の一人ともされています。
今回は右大将道綱母について紹介します。
右大将道綱母とは
生年936年、没年は995年。
藤原兼家の妻の一人。兼家との間に道綱が生まれています。
百人一首に選ばれている歌は、藤原兼家に宛てて書かれたものでした。
藤原兼家が他の妻のもとを訪れたあと、道綱母の家を訪れますが、道綱母は門を閉ざしたまま兼家を家に入れませんでした。
その翌朝、道綱母は、褪せて色変わりした菊の花とともに、この歌を兼家のもとに届けさせます。
そこには嫉妬の思いや皮肉が込められています。
さて、その思いは、藤原兼家には、伝わったのでしょうか。
時代背景
右大将道綱母も没年が995年です。
疫病の流行との関連が気になるところです。
百人一首の歌
歌:嘆きつつ ひとり寝る夜の あくる間は いかに久しき ものとかは知る
歌の意味:嘆き悲しみながら寝た夜が明けるまでの間は、とても長いもの。それをおわかりになられるでしょうか。
数人いる妻の一人という立場。
現在では想像が難しいところです。
またお立ち寄りください。
どうぞご贔屓に。
にほんブログ村ランキングに参加しています