安心感の研究 by 暖淡堂

穏やかに日々を送るための試みの記録

*本ブログにはスポンサーによる広告が表示されています

「吹くからに秋の草木のしほるれば」 文屋康秀 小野小町に向けた優しさ

百人一首第22番目の歌の作者は文屋康秀ふんやのやすひでです。

六歌仙の一人で、小野小町とも親交があったとされています。

 

今回は文屋康秀について紹介します。

 

文屋康秀とは

生没年などは不明ですが、877年、880年頃に任官していますので、9世紀末頃の人ではあるようです。

天武天皇の子孫とも言われていますが、定かではありません。

 

小野小町とは親密な付き合いがあったようで、三河掾として赴任する際に誘ったところ、次の歌を返したとか。

 

わびぬれば 身をうき草の 根を絶えて 誘ふ水あらば いなむとぞ思ふ

 

これは誘いに応じたということでしょうか。

十訓抄によれば、これは小野小町の容色が衰えた後のこと。

であれば、文屋康秀小野小町への優しい思いやりなども感じ取れるのかもしれません。

時代背景

文屋康秀は任官の時期から清和天皇陽成天皇宇多天皇の頃の人と考えられます。

この時代は、藤原北家が権勢の基盤を強化していた頃。まだ菅原道真は京にいてさまざまな建策をしています。

唐では黄巣の乱などが起こり、いよいよ国としての衰亡が明らかになってきた頃でした。

 

百人一首の歌

歌:吹くからに秋の草木のしほるればむべ山風を嵐といふらむ

歌の意味:それが吹くと秋の草木が萎れるので、なるほど山の風を嵐というのだったか。

 

「吹くからに秋の草木のしほるれば」

文屋康秀 小野小町に向けた優しさ

 

小野小町とのやりとりには、別の解釈も可能かもしれません。

ここでは、自然を見る静かな目を、絶世の美女にも向けたと思いたいです。

 

またお立ち寄りください。

どうぞご贔屓に。

 

 

f:id:dantandho:20210924172547j:plain

dantandho
にほんブログ村 本ブログ 古典文学へ
  にほんブログ村ランキングに参加しています

 

PVアクセスランキング にほんブログ村
PVアクセスランキング にほんブログ村