百人一首第39番目の歌の作者は参議等、源等です。
今回は参議等について紹介します。
参議等とは
嵯峨源氏につらなる人です。
880年生まれ、951年没。平安時代中期の人です。
最終官位は正四位下、参議でした。
百人一首の歌はその中の1首。
時代背景
今回は源氏について。
源姓の流れは、歴史の中にたくさん出てきます。
この源姓の人たち、元々は天皇家の一族で、そこから分かれた家系につらなっています。
皇族が臣下の籍に降りることを臣籍降下といいますが、その時に源という姓を名乗るようになったのが源氏。
嵯峨天皇から分かれたのが嵯峨源氏、清和天皇から分かれたのが清和源氏、などと呼ばれます。
今回の参議等(源等)は嵯峨源氏の一人。
鎌倉幕府で有力だった北条氏や三浦氏などもこの平氏の流れです。
京で力を持ったので、特に六波羅流などと呼ばれることもあります。
武士も、元々は皇族だった人たちがいたということですね。
貴族にも乱暴者が多かったようですので、そんな人たちが刀を持って自分の得意なことに力を生かしたのかもしれません。
百人一首の歌
歌:浅茅生の小野の篠原忍ぶれどあまりてなどか人の恋しき
歌の意味:浅茅の生えている小野の篠原の「しの」のように忍ぶ思いに耐えてきたけれど、もはや忍びきれない。どうしてあの人がこれほどに恋しいのだろうか。
光源氏の源氏も臣籍降下で出来た流れの中の一人という設定です。
源氏でも平氏でも、貧しさに苦労した人もいたみたいです。
力のある一族にいないとほぼだめだったようで。
またお立ち寄りください。
どうぞご贔屓に。
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