安心感の研究 by 暖淡堂

穏やかに日々を送るための試みの記録

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争わない【姿のよいひと】

争わない

姿のよいひとは、争わない。
無理に人々の前に出ないし、上に立たない。
人々を導かないといけないときは、横に立つ。そして、そっと腕に触れるようにして、一緒に進む。
方向を指差し、そちらに向かえ、などと指示をしない。
そのひとが選んだ方向を尊重し、助けを求められたら、可能な範囲で手助けをする。
その場合も、それが他のひととの競争であれば、別の方向を考えられないかと話したりはする。

 

勝ち負けのあるものからは、距離をおく。
誰かが勝つために、他の誰かが負けないといけないようなものに、積極的に参加することはない。
負けた多くの人たちの上に立っているひとと仲良くすることなど決してない。
負けた多くの人たちの中に、自分から入っていくこともない。


そもそも、勝とうとするひとは、勝つための条件を自分で作り、負けるべき人たちの見当をつけてから勝負を始める。
勝つひとにとって、自分に負ける人たちがいないと勝負が成立しない。
そんなひとには、近づかないのがよい。
そのひとが勝つために、負けるべき人たちの中に入れられてしまうかもしれない。
いつも勝っていたいひとは、そのために常に新たな仲間を探していたりするものだ。
そして、新たな仲間を、簡単に踏みつける。

 

知り合いが勝ったからといって、そのひとに近づいて称賛するということはない。
ああ、あのひとは勝負をしたのか、そして勝ったのか、と思うだけだ。
誰かが負けて悔しがっているからといって、そのひとのところへいって慰めたりもしない。
ああ、あのひとは勝負を挑んで、負けたのか、と思うだけ。
ただ、それだけだ。
勝負とは、ただ、人々をなんらかの理由で分けて、一方を良しとすることに過ぎない。

 

それでも、若い頃には争うことを経験することも悪くはない。
自分の実力を試し、どのように世の中に出ていくか、そのやり方を探るのには、いくつか競争をしてみるのもいい。
そして自分の実力を知る方法を身につけるのだ。
勝つか負けるかは、運次第であるということを知ることはよいことだ。
どのような勝負の場に立てるのか、それは実力によるものだ。
自分に与えられる勝負の場によって、自分の実力を測る。
勝ち負けは運次第。
それを一通り経験したら、争いからは離れているのがいい。

 

姿のよいひとは、自分が成長することと、自分のあるべき在り方をいつも意識して、競うべきは自分自身であると思い、決して他人と争わないのだ。

 

*☺☺☺☺☺*

 

争わない【姿のよいひと】

 

今回の部分は、ちょっと書き過ぎたかな、という気もしてます。自ら求めて争わない、というニュアンスで読んでいただけたら嬉しいです。

 

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dantandho


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