モンゴルの侵入を許した金は、25万の正規軍、さらに25万の義勇兵をもってモンゴル軍10万を押し潰そうとした。その指揮を取るのは老将定薛(ていせつ)。定薛は義勇軍の25万を死に兵として使い、疲弊したモンゴル軍に金正規軍を当てようとした。
決戦の日、定薛は自慢の白髭を赤く染めた。そして、モンゴル軍が義勇兵で作られた部隊に当たっては引くことを繰り返すのを見ていた。自らが指揮する金正規軍はほとんど無傷のままである。定薛は金軍の勝利を確信していた。
定薛は身近に風のように迫るものに気がついた。モンゴル軍の遊撃部隊2万騎が金軍の中枢に奇襲をかけたのだ。定薛を守ろうとした副官の首が飛ぶ。風が吹き抜けた後、定薛の首もまたモンゴル兵の槍の穂先に突き立てられていた。
金軍が敗れたことで、金国の朝廷に動揺が走った。将軍胡沙虎によるクーデター、そして衛紹王の死。それでも国として機能している金国は崩れなかった。そんな中、福興が宰相として金国の立て直しを図る。その福興を支える廷臣の中に、耶律楚材がいた。
金軍を破ったチンギスは、わずかな供を連れて、梁山湖に向かう。そこは、多くの英雄たちの夢の跡だった。しかし、チンギスの胸裏には、特別な感慨は浮かばなかった。
「夢だけがいつも新しい」。
梁山泊を見たチンギスの口から漏れたのは、そんな言葉だった。
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金の大軍をモンゴル軍が破ります。戦い方の違いもありますが、金軍が弱体化していたというのも要因であるように描かれています。
ついに耶律楚材が登場しました。今後のチンギスと耶律楚材の描かれ方がとても気になります。
また、西方に夢を追う人々の足取りからも目が離せません。
「チンギス紀<十一>黙示」 北方謙三 1215年頃の中国