宋禁軍の童貫を倒した後は、軍閥として残った岳飛らを相手にした戦を行う他に、梁山泊をそれまでとは違った国にしていく試みを続けます。それは、一割の税と一年の徴兵を民に課し、それ以外に国が交易を行って国庫を満たすというもの。梁山泊の交易は、東は日本、西は遠く天山山脈の先までを視野に入れたものでした。
梁山泊と歩調を合わせ宋を滅ぼした金は、長江の南で即位した趙構を軍で追いますが、捕えきれず軍を北に帰しました。その後、趙構を帝とした南宋が建国されます。
岳飛は金軍、梁山泊軍などと戦いますが、金に対しては優位に立つものの、梁山泊軍相手では負け続けます。領民たちは不満を募らせ、ついに金軍と戦っている岳飛軍の足元を揺るがす行為に出ます。
楊令伝は、童貫を討ち果たすまでがクライマックス。その後は梁山泊の新たな国としてのあり方の模索が中心になります。それと並行して、岳飛の成長も描かれます。
梁山泊が目指す新しい国としての在り方
楊令は童貫を倒した後、そこで梁山泊としての軍事行動を一旦停止します。そして、宋の都を金軍が攻撃するのを支援する側に回ります。その結果、金は宋を倒し、帝らを北に連れ去ります。
梁山泊は、自らの手で宋を倒すこともできたのですが、それをしませんでした。楊令は新たな国の帝になり得たのですが、それを選びません。楊令は梁山泊の帝ともなってはいません。
梁山泊は、どのような国になろうとしているのでしょうか。梁山泊の面々は、それぞれに自分達の国の姿を思い描きます。宋に代わる国、自分達で選んだ帝がいる国、そんな形を望む者もいます。そんな人たちは、楊令が帝にならず、領土を広げようとしないことに戸惑います。
楊令はそれでも、梁山泊を、それまでの国と同じような姿にはしようとしません。あくまでも税を安く、人々は暮らしやすい国というのを目指します。民生や軍の維持の費用は、梁山泊自体が行う交易の利益を用います。
金や南宋は、従来の国の在り方を踏襲しています。梁山泊はそんな国に囲まれています。どこまでその形を維持できるでしょうか。その辺りが今後のストーリーで語られることになります。
岳飛の成長
岳飛はどれほど力を溜めようと、楊令には敵いません。梁山泊から軍馬を奪いますが、その報復で手痛い打撃を受けます。また、金軍の将軍、蕭珪材(しょうけいざい)にも敵いません。蕭珪材は遼の皇帝から下賜された護国の件を伝承している武将です。
岳飛は自ら率いる兵たちを楽家軍とし、軍閥として維持していましたが、度重なる戦で領民の負担は増え続けていました。人々が苦しむ姿に自分のやり方が正しいのか悩みますが、あと数年は民に耐えてもらおうと考えていました。
蕭珪材との戦の後、金軍と交戦中の自軍の援護に向かいます。しかし、岳飛が戦線に到着する前に、報告が入ります。金軍と対峙していた岳飛軍に背後から3万の民が襲い掛かったと。岳飛はそのことに衝撃を受けます。
岳飛は結局、自らで軍閥を維持することを諦め、南宋の軍の一翼を担うことになります。しかし、独自の在り方を諦めたわけではありませんでした。
蕭珪材という人物
この巻では岳飛と蕭珪材との決戦が描かれます。蕭珪材はもと契丹族が建国した遼の将軍。それが金建国後は金の軍に属しています。この蕭珪材、北方作品の「血涙」の石幻果の子孫という設定で、護国の剣を佩いています。
蕭珪材は力はありながら、金に帰順する経緯から軍の中心には置かれませんでした。岳飛との対決も、金軍主力部隊の側面支援という形からのものでした。
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まとめ
岳飛伝でも活躍する秦容の成長も描かれています。秦容も楊令と同じく、子午山で過ごした経験があります。この後の楊令伝の中での存在感も増していきます。要注目のキャラクターです。
楊令伝<十三>青冥の章 北方謙三 1130年頃の中国
現在、「チンギス紀」も読み進めています。一貫して流れるテーマの展開から目が離せません。またお立ち寄りください。どうぞご贔屓に。