百人一首の選者、藤原定家とは、同じく藤原俊成を師とした同門のライバルともいえる人です。
今回は従二位家隆について紹介します。
従二位家隆とは
生年1158年、没年1237年。
前回の藤原定家と同時代に生き、また年齢もとても近い人でした。
性格は温厚であったといわれています。
また、承久の乱で配流となった後鳥羽院とも、和歌のやりとりをしていて、交流を保っていたようです。
後鳥羽院が、藤原良経に「和歌を始めようと思うが、誰を師としたらいいか」と尋ねたところ、「藤原家隆を」と答えたと伝えられています。
その時からの付き合いが、承久の乱後も続いていたのでしょう。
時代背景
水無月は六月で、旧暦では夏の終わりになります。
夏の終わり、涼しい風が吹き始めた頃ではありますが、川原でみそぎが行われます。
それを見た藤原家隆は、ああ、まだ夏だったのだなあと思った。
そんなことが詠み込まれた歌になっています。
爽快さを感じる歌でもありますね。
百人一首の歌
歌:風そよぐ ならの小川の 夕暮れは みそぎぞ夏の しるしなりける
歌の意味:風が木々の葉をそよがせている、この楢の小川の夕暮れ時に 晩夏の行事のみそぎが行われている
「風そよぐ ならの小川の 夕暮れは」 従二位家隆
定家とは同門で好敵手
またお立ち寄りください。
どうぞご贔屓に。
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