宇多源氏に連なる人で、当時の歌壇で活躍しました。
今回は源兼昌について紹介します。
源兼昌とは
生没年は不詳です。
官位は従五位下まで。
あまり官位には恵まれませんでした。
後に出家したようです。
当時の歌壇で活躍し、勅撰和歌集に数首歌が選ばれている実力者ですが、出世にはつながらなかったようですね。
百人一首に選ばれている歌は「金葉和歌集」に収められているものです。
時代背景
歌に出てくる「須磨」とは、現在の神戸市須磨区。
対岸に淡路島が見えます。
千鳥は須磨と淡路島の間を往き来しては、物悲しく鳴きます。
平安時代の前期頃までは、摂津国と須磨国の国境に関所がありました。
その関所を守る関守は、その千鳥の鳴き声を聞くたびに、眠れない夜を過ごしたことでしょう。
この「須磨」。
そこでは侘び住まいをしていました。
おそらく当時の人にとって、「須磨」とは寂しさ、悲しさを感じさせる場所と思われていたのでしょう。
百人一首の歌
歌:淡路島 通ふ千鳥の 鳴く声に 幾夜寝覚めぬ 須磨の関守
歌の意味:対岸の淡路島へ往き来する千鳥の物悲しい鳴き声に、いったいどのくらいの夜、須磨の関守は目を覚ましたことだろう。
またお立ち寄りください。
どうぞご贔屓に。
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