こんにちは、暖淡堂です。
「臨済録」上堂から一文を紹介します。
原文:論劫在途中、不離家舍
現代語訳:仏法を論じて進みながらも本来いるべきところを離れていない
臨済は、修行するものの姿を二通り示しています。
その一つがこの文章で示されているもの。
様々なものを学びながら、進んでいるようでも、結局住み慣れたところから離れていない。
もう一つはこの後に出てきます。
本来いるべきところから離れてフラフラとしていて、進むべき道にすらいない。
さて、この二通りの修行の、どちらが最終的に得るものがあるでしょうか。
臨済は、どちらが優れていてどちらが劣る、というようなことは言っていません。
結局はどちらでもいいのかもしれませんね。
そもそも、修行の形には、あまり意味がないのかと思います。
【臨済録】上堂(8)「論劫在途中、不離家舍」(仏法を論じて進みながらも本来いるべきところを離れていない) 結局はいま、ここ、にいるだけ
原文と現代語訳
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