こんにちは、暖淡堂です。
「臨済録」上堂の前回の続きの部分から。
原文:不作維摩詰、不作傅大士
現代語訳:維摩詰だ、傅大士だ、などとは言うなよ
維摩詰も傅大士も、それぞれ修行の先に行き着いてしまった人たちのこと。
そんな人たちの、どちらがより優れているのか。
臨済は、そんなことはどうでもいいのだ、と言っています。
そもそも修行には先も後もないのです。
修行することが、そのまま悟りになります。
日々の暮らしも、悟り。
特別なはからいなどいりません。
そのまま、そのまま。
なぜなら、すべてはもうすでにそろっているのだから。
それに気づくことが一番大切なことです。
臨済はそれに気づくことを手助けするために、多くの言葉を語り続けます。
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