平安時代の終わり頃から鎌倉時代にかけて、武士や庶民に仏教の教えが広まりました。
それまでの仏教は教義が難しく庶民には理解しにくいものでした。
また、戦乱で命のやりとりをする武士にとって求められているものに十分に応えられているものでもありませんでした。
そんな状況を受けて、幕府の開かれた鎌倉を中心に広まったのが鎌倉仏教と呼ばれるもの。
浄土宗、浄土真宗、時宗、臨済宗、曹洞宗、日蓮宗が鎌倉仏教に数えられています。
このうちの臨済宗は、北条氏の保護を得て発展しました。
臨済宗とは
唐の末期、軍閥が割拠して国としてのまとまりが無くなっていた頃の僧、臨済を祖とする宗派です。
臨済とは、臨済自身が住職となった寺院が川の流れに面していたところから呼ばれるようになった名前です。(臨:のぞむ、見下ろす。済:川を渡る)
臨済は修行する僧たちに語りかけて導きました。
その言葉が「臨済録」として残されていて、現在でも「一無位の真人」などの言葉の意味が多くの学者や僧侶たちによって研究されています。
日本に臨済宗を持ち帰った栄西
栄西は唐の瓦解と混乱を経て建国された宋に二度渡りました。
そもそもは天台の教えを学ぶための留学でした。
しかし、訪れた先の寺が禅宗に改宗されており、それで一度帰国しました。
栄西は一度目の留学で触れた禅の教えに共感するものがあり、二度目の留学では禅を本格的に学んで、それを持ち帰りました。
帰国後の1191年、日本において臨済宗を開きました。
北条氏と臨済宗
臨済宗は朝廷や幕府の保護を受けました。
鎌倉幕府の中心にいた北条氏も臨済宗を支援し、現在も残る寺院を建立しています。
北条時頼は建長寺を建て、息子の北条時宗は宋から無学祖元を招いて円覚寺を建てました。
これらの寺院は、現在も鎌倉仏教を代表するものとして残っています。
禅と臨済録
「臨済録」という書物は、臨済の言葉を記録したものですが、臨済宗だけの経典というものではありません。
そこには広く禅を学ぼうとするものが読み取るべきもの、感じ取るべきものが豊富に残されています。
仏教を学ぶ人たちだけではなく、一般の人たちでも、実際の生活に役立つ知恵をたくさん見つけることができます。
さまざまな形での問題が、私たちの現代の生活を難しくしています。
そんな時に、この書物を読むことで、無用な不安からは解放されるかもしれません。
*☺☺☺☺☺*
臨済録とその解説書
「臨済録」とその解説書は比較的入手が容易ですが、その中でも名著と思うのは以下になります。
ぜひご一読を。
なお、ブログ「散木の小屋」に「臨済録」原文全文を掲載しています。
ご参考まで。
新品価格 |
新品価格 |
新品価格 |
新品価格 |
にほんブログ村ランキングに参加しています