こんにちは、暖淡堂です。
YMOって、未来的ですよね。
常に誰よりも先の時代を予言しているようなところがあって。
テクノっていうのが未来的でした。
シンセサイザーはもともとはアナログの機械。
デジタルになったのは、YMOが流行ってから少し経ってから。
それでも、アナログのシンセサイザーの方が未来的だったような気がします。
昔、考えられていたロボットも、アナログチックで、その方がむしろ未来的に感じられました。
僕が少年(?)の頃、未来ってどうなるんだろう、って考えることが多かったです。
自分が20歳になったら、働き始めたら、結婚して子供ができたら、老人になったら。
あるいはどんな世の中になった頃に自分は死ぬのかな、なんて。
「未来的」なものを、よく考えていました。
思えば、当時は「未来的」なもののイメージが、世の中でもよく紹介されていた気がします。
ウルトラマンの時代設定が20世紀の後半。
光線銃を使っていたり、カッコいい戦闘機が飛んでいたり。
怪獣が来るのは困りますが。
そんな時代になるのかな、なんて考えていました。
で、設定されていた時代は、もう過ぎてしまいました。
特撮の映画などでは、未来からきた人が銀色の、身体にピッタリフィットした服を着ていたりしましたね。
あれを見て、ヤバい、と思ったものです。
まあ、色々な意味で。
でも、なんだかそんな格好をして出歩く人は、幸いなことに増えそうな気がしません。
で、気がつけば、あまり「未来的」なものが語られない時代になってしまった気もします。
新しい流行や技術の発展などはあるのでしょうけど、「未来的」なものへの関心が薄れてしまっているのかもしれませんね。
それって、実はとても大きな問題かもしれません。
YMOの「Absolute Ego Dance」。
この曲を聴いて思い浮かんだのが「未来的」という言葉。
皆様は、いかがでしょうか。
「Absolute Ego Dance」 YMO
実現されなかった未来も「未来的」なものである
「未来的」なものって、結構夢があった気がします。
今は、「21世紀の終わり」というと、かなり悲惨なイメージを思い起こしてしまいがち。
これではいけない気がします。
またお立ち寄りください。
どうぞご贔屓に。
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