安心感の研究 by 暖淡堂

穏やかに日々を送るための試みの記録

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海外駐在が決まるまで 現地グループ会社からの要請 社内のパワーバランス 

タイのホテルで見た朝焼け

タイ ライヨンのホテルからの朝焼け


2010年1月から2012年6月まで、2年半、タイにあるグループ会社に出向していました。

帰国してから大体10年になります。

 

タイに住んだおかげで人生が大きく変わったという気がしています。

一緒にいった嫁さんや娘も、国内にいるだけでは想像もしなかった経験ができたようです。

 

定年後の生活にも役立つものがありそうなので、記事にしておきたいと思います。

皆さんの参考になれば幸いです。

 

大部分は、自分のための備忘録になりそうですが。

 

海外駐在が決まるまで

研究開発の部署にいました。40歳代の半ばには研究の現場から離れて管理部門で仕事をしていました。英語が少しできることと、海外出張を嫌がらないことで、海外対応担当のような立場になっていました。ちょうどその頃、研究開発の担当役員が、海外にも研究開発拠点が欲しいと考え始めていました。出向できるものがいないか、探し始めていたようです。特に、アジア地区は顧客となる会社がたくさんあるので、現地でグレード開発できる体制を作りたいという社内的な要請もあったようです。自分からはタイに駐在したいという希望は出していなかったのですが、担当役員から内々で打診があり、とりあえず家族と相談してみると答えました。

 

現地グループ会社からの要請

その後、担当役員と相談を進める中で、タイにあるグループ会社の社長から強い要望があって、研究開発経験者であり研究部門のテーマ管理ができる人物が求められているということを知らされました。グループ会社の社長とは、シンガポールに出張したときに合流し、そのままタイのグループ会社まで移動して、社長がやりたいことの説明を受けました。そして、僕がタイのグループ会社に出向することが、ほぼ既成事実化していきました。

 

社内のパワーバランス

しかし、なかなか出向時期が決まりません。娘はまだ小学生だったのですが、いつ学校に連絡したらいいのかがはっきりせず、落ち着かない状況が続きました。出向時期が決まらなかったのは、社内の部門間のパワーバランスの調整に時間がかかっていたからのようです。タイにある研究所の所管は事業部でした。そこに研究開発部門の人間が出向してゼネラルマネージャーとなることに、事業部のメンバーから抵抗があったようです。結局、事業部の担当役員、研究開発の担当役員、タイのグループ会社の社長らが話し合って、僕の出向が決まりました。決まってからはすぐに手続きを開始して、準備期間3カ月弱でタイに赴任しました。2010年1月、正月早々のことです。家族の出国準備は間に合わず、また学校の手続きなどもあって、3月末までは僕が単身で赴任していました。

 

海外駐在が決まるまで 現地グループ会社からの要請

社内のパワーバランス

 

楽しいことばかりではありませんでしたが、どれもとても懐かしい思い出になっています。

またお立ち寄りください。

どうぞご贔屓に。

 

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