後醍醐天皇の皇子の一人、義良親王(「のりなが」、または「のりよし」。「六の宮」とも。のちの後村上天皇)は幼くして鎮守府大将軍として陸奥に赴任します。それを陸奥守として助けたのが北畠顕家。北畠顕家も赴任時はまだ一六歳でした。
生年は一三二八年、陸奥に赴いたのが一三三三年。わずか五歳の時です。北畠顕家と協力して奥州をまとめ、一三三五年、足利尊氏が後醍醐天皇から離反すると、軍を率いて上京し、足利尊氏を九州に追い落とします。
その後、陸奥に戻りますが、地盤を固めきれぬまま、九州で勢力を回復し再び京に迫る足利尊氏に対抗するため、上洛の軍を進めることになります。
この戦で陸奥守北畠顕家は落命します。義良親王は三度陸奥を目指しますが、乗り込んだ船が遭難するなどして断念。吉野に戻った義良親王は一三三九年後醍醐天皇の譲位を受けて即位しました。在位期間中は北畠家、楠木家などとともに京の回復、南北朝の統一を目指します。
陸奥赴任から北畠顕家の落命までの期間が、「破軍の星」で描かれています。北畠顕家に懸命についていこうとする義良親王が、兄を慕う弟のようにも見えてきます。
破軍の星 北方謙三
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