働き始めたとき、なにを考えていたのか、もう思い出せない。なにかを心にきめて故郷を出てきたはずだ。それなのに。
日々、様々なことを経験するうちに忘れてしまったのだろう。それに、なにを考えて働き始めたのか、思いだせなくても困ることはないのだ。どうして今まで働いてきたのか、それを考えもしないほうが、都合がよいこともある。
しかし、これからも働き続けるのだとしたら、なぜ働くのか、自分なりの答えを用意しておいた方がいいだろう。どうも、それを尋ねられることが、ないともいえなさそうだ。自分自身、その答えを求めるときが、来そうな予感もある。
こうではない、というのはある。もう大分前のことだが、当時の上司に自己実現とはなにか、と問われたことがある。研修のときだった。答えられないでいると「君たちの夢は、会社の事業が発展することだ。君たちの社会での自己実現とは、会社の発展に貢献することだ」といわれた。
それからはもう、夢だの自己実現だのは考えないようになってしまった。
なぜ働いているのか、それを答えたくないなにかは、心の奥のガラクタに埋まっている。そのガラクタの山を、この「駅物語」は揺すぶってしまった。
いつかそのなにかが顔を出しそうな気がする。
そのなにかとの出会いを、僕は怖がっていない。
駅物語 朱野帰子
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