安心感の研究 by 暖淡堂

穏やかに日々を送るための試みの記録

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虚無無形、謂之道。化育万物、謂之徳。君臣父子、人閒之事、謂之義。春秋時代から伝わる心術の歴史―第14回 【管子四篇】

こんにちは、暖淡堂です。

管子四篇の「心術」を少しずつ読んでいます。

今回は「道」、「徳」、「義」を述べた部分です。

 

前回の内容は以下になります。

 

dantandho.hatenadiary.com

 

 

虚無無形、謂之道。化育万物、謂之徳。

君臣父子、人閒之事、謂之義。

 

以下の様に分けて読んでいきます。

 

  • 虚無無形、謂之道。
  • 化育万物、謂之徳。
  • 君臣父子、人閒之事、謂之義。
  • 「道」、「徳」、「義」とは

 

虚無無形、謂之道。

謂は「いう」。虚無は空っぽ、無形は形がないこと。ここの読み下しは「虚無にして無形、これを道という」。心を空っぽにしておくと、そこに入りこんでくるもの。それも道でした。ここでは、そもそも道には決まった形がないのだといっています。老子の道と同じですね。

 

化育万物、謂之徳。

化育とは育てること。読み下しは「万物を化育する、これを徳という」。万物を、その本来の在り方で成長させること。本来の在り方とは、余計な手を加えていないこと、道とともにあること。それを実現させるのが徳です。

 

君臣父子、人閒之事、謂之義。

閒は間と同じです。人閒は人と人との間のこと。「人間」のそもそもの意味ですね。「人閒之事」とは、人と人との間で起こること、関係性のようなもの。あるいは大切にされるべきもの。ここの読み下しは「君臣、父子、人閒の事、これを義という」。君臣、父子、人と人との間のこと、これが義であるといいます。

 

「道」、「徳」、「義」とは

道とは、それ自身空っぽで形がありません。徳は、万物をあるべき在り方に成長させるもの。義とは君臣、親子、その他の人と人との関係で大切にされるもの。ここで、これらの意味のとらえ方が説明されます。

 

原文:虚無無形、謂之道。化育万物、謂之徳。君臣父子、人閒之事、謂之義。

書き下し文:虚無にして無形、これを道という。万物を化育する、これを徳という。君臣、父子、人閒の事、これを義という。

意味:からっぽでもともと形もないもの、これを道という。あらゆるものを育てる、これを徳という。君臣、父子、すべての人と人との関係のもとにあるもの、これを義という。

 

(「管子四篇」ペーパーバック版も発売中です。どうぞよろしく)

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