安心感の研究 by 暖淡堂

穏やかに日々を送るための試みの記録

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「ほととぎす 鳴きつる方を 眺むれば」 後徳大寺左大臣 初夏の朝に動く空気

百人一首第81番目の歌の作者は後徳大寺左大臣ごとくだいじのさだいじんです。

後徳大寺左大臣とは藤原実定のこと。

後とつくのは、祖父の徳大寺(藤原)実能が徳大寺左大臣と呼ばれていたことから。

 

今回は後徳大寺左大臣について紹介します。

 

後徳大寺左大臣とは

生年は1139年、没年は1192年。

晩年は源平の騒乱の渦中に生きました。

官位は正二位、左大臣

若くして公卿に列せられたが、平清盛が権勢の中心にいた時期は不遇であった。

平家衰亡のあとは、源義経を立て、源頼朝追討に賛同。

源義経は結局都落ちしますが、その後源頼朝により議奏公卿に推挙されます。

それからは朝廷と幕府の間での調整役として働きました。

 

本人は文人で、特に和歌の才能に恵まれた人でした。

百人一首に選ばれている歌は千載和歌集にあるもの。

 

ほととぎすの初音、有明の月。

夏の朝の、涼やかな空気の流れを追うように視線が動きます。

その朝とは、どのような朝だったのでしょうか。

 

政治的に激しい動きの中を生きた歌人が、ふと書き留めた瞬間が、とても爽やかに表現されている。

そこに面白みを感じますね。

 

時代背景

平家物語で語られる時代の歌人が続きます。

平清盛と徳大寺家とは競合していたという見方もされているようです。

それで平家全盛期には政治の中心から退けられていました。

源家が幕府を興したときに、政治の中心に返り咲いたという形です。

 

以下の平家物語、現代語版、名訳です。

 

 

百人一首の歌

歌:ほととぎす 鳴きつる方を 眺むれば ただ有り明けの 月ぞ残れる

歌の意味:ほととぎすの鳴き声の聞こえる方向に目をやると、そこにはただ有明の月が空に残っている。

 

 

「ほととぎす 鳴きつる方を 眺むれば」 後徳大寺左大臣

初夏の朝に動く空気

 

またお立ち寄りください。

どうぞご贔屓に。

 

 

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