言葉を使うことによって、人は他の動物とちがう「困難さ」を背負うようになっていると思います。
そろそろ自由になってみたいもの。
スイッチを切るように、言葉を黙らせることができれば、ずいぶんと楽に生きられるのかもしれませんね。
猫は、言葉を使わない。なので、おそらく僕と同じような考えごとはしていない。
それで、いつまでも不機嫌だったり、必要以上に不安を感じたりすることはないのだろう。
危険なものが近づいて来ないかと警戒することと、不安を感じながら日々を過ごすこととは違う。危険なものがなければ、陽だまりで昼寝をしていていいのだ。
そして、危険なものが近づいてきたら、逃げればいい。
軽快な身のこなしを生かせればいいのだ。
僕は、言葉で考えすぎて、身体を重くしている。
あり得ないことで自分の世界を作り上げて、動ける場所を狭くしている。
本当に危険なものはなにか。
考えすぎて、自分たちの生き生きとした生活を息苦しくしてしまうことではないか。
あのとき、僕をすごく不愉快にさせるようなことをいったひとも、おそらく言葉では正しくいいあらわせていないことがたくさんあっただろう。
そもそも、僕が理解したような意味でいったのだろうか。
過去に起こったことから、なにかを学び取るのと、過ぎたことをくよくよと考え続けるのでは、よく似ているが、違う。
経験を活かすことと、同じ場面に立たされることを想像し、恐れることとはまるで違う。
将来の可能性に対し、準備することと、そもそもあり得ないことを願って、それが実現されないことを想像して悲しむこととは、まったく違う。
考えすぎて、生活から、生きているものの輝きを奪わないこと。
考えすぎている自分の状態からは、身軽に逃げよう。
猫のように。
僕も、一度目の一度切りを生きているのだから。
なんだか、そろそろ眠れそうだ。
「猫は一度目の一度きりを生きている」 暖淡堂
猫は一度目の一度切りを生きている(7)
猫は言葉を使わない。
今回でおしまいです。
「猫は一度目の一度きりを生きている」
暖淡堂書房/Kindleで販売中です。
どうぞご贔屓に。
新品価格 |
にほんブログ村ランキングに参加しています