百人一首第34番目の歌の作者は藤原興風です。
三十六歌仙の一人です。
今回は藤原興風について紹介します。
藤原興風とは
生没年は不詳です。
この百人一首の歌の通りであれば、長寿の人だったと思われます。
最終の官位は正六位上でした。
和歌の実力は高く評価されていた人で、古今和歌集だけでも17首選ばれています。古今和歌集以降の勅撰和歌集を合わせると38首。
この時代の代表的な歌人であったといえます。
時代背景
平安時代には、建物の構造がその前の時代と比べて変化しました。
大きな変化は床が作られるようになったこと。
それまでは地面を固くかためて、その上に椅子を置いて座っていました。
それで、人々の服装も短めで、足元を結んだようなものになっていました。
平安時代で建物に木の床が作られるようになって、人々の衣服はゆったりしたものになり、床を引きずるようなものも現れました。
貴族の女性たちの衣服などは、床の上での生活でなければ難しいですよね。
住環境の変化は、日本の風土に合わせたものと考えられますが、その結果、人々の服装も変わったようです。
面白いですね。
百人一首の歌
歌:誰をかも知る人にせむ高砂の松も昔の友ならなくに
歌の意味:いったい誰を知人としたらよいのだろう、私と同じように年老いている松でも、私の友ということではないのに
「ひさかたの光のどけき春の日に」
紀友則 散る桜に心を奪われる都人
春の桜、秋の紅葉は平安歌人の好んだもの。
季節を目で見て、それを見立ててさらに愛したようです。
またお立ち寄りください。
どうぞご贔屓に。
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