西洋の哲学は頭で読み、東洋の思想は腹で読む、そう感じた。西洋の宗教であるユダヤ教やキリスト教は頭で理解するもので、仏教など東洋のそれは、腹で捉えるものなのかもしれない、と。
哲学の書物は、大概が厚い。数百ページもあるのがたくさんある。一方で東洋のそれは薄い。漢字で書かれているものは特に薄い。漢文で、読み下し文や現代語訳をつけると厚くなってしまうが、本文の白文だけだと、とても薄いものになってしまうだろう。
頭は情報を処理し、結論を出すことができる。長い文章からストーリーを読み取ることができる。頭で読む西洋の哲学書は、一つのストーリーを、繰り返し、まるでいくつもの変奏曲を聞くようにして読み続けさせる。
東洋は、短い文章を、自分で何度も繰り返し読み、腹に落ち着かせる。一読で難解なものも繰り返していくうちに馴染んでくる。それをゆっくりと消化する。いつか、自分の身体に同化したとき、ふとそれを理解したことに気がつくのだ。
人は頭だけで生きているのではない。腹だけで生きているのでもない。頭には知識を、腹には栄養を与え続けながら、一体として生きているのだ。
そんなことを考えさせてくれる。西洋の哲学と東洋の思想。いずれも、出会えてよかった。そう思う。
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東洋と西洋
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