安心感の研究 by 暖淡堂

穏やかに日々を送るための試みの記録

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一つのことが終わりかけているとき、新しいなにかはもう始まっている

再スタートを切る

 


こんにちは、暖淡堂です。

これまで生きてきて、何度か「人生の節目」だな、と感じたことがありました。

進学、就職、転勤、結婚、それに子供の進学、など。

これからもう少ししたら、定年、還暦がきます。

それも節目ですね。

 

そんなとき、いつも感じていたことがあります。

それは「一つのことが終わりかけているとき、新しいなにかはもう始まっている」ということ。

なにかが終わりかけているときに、すでに次につながるものが始まっているのですね。

その始まっているなにかは、次の期間の中心になっていて、自分の生き方に方向性やエネルギーを与えてくれていたりします。

 

思い出すものを書いてみたいと思います。

 

大学の受験勉強をしていたときに、バンドにドラムで参加することを誘われた

高校生の頃、友人からバンドに誘われました。

そのうちのいくつかはボーカルとして、そのほかのいくつかはドラマーとして、メンバーにならないかと言われました。

ドラムは従兄弟の影響で、演奏の仕方を知っていて、少しは叩けました。

 

何度かメンバーで集まって、演奏を楽しみました。

学校祭などでもステージに上がって、ドラムを叩きました。

それも大学受験の準備が忙しくなるまででしたね。

 

このドラムの経験が、大学に入ってからの軽音学部での活動につながります。

学生時代はずっとバンド活動に力を入れていました。

当時のヤマハのコンテストに参加したり、自主コンサートを行ったり。

正直、勉強よりも力を入れていました。

 

一時期は、バンドメンバーがプロを志向していました。

もしかしたら、何らかの形で、楽器の演奏を職業にしていたかもしれません。

そのくらいのめり込んでいましたね。

 

教員養成課程にいたときに、集中講義で大学院の先生と出会った

夏休みの集中講義に、札幌の大学の大学院の先生が講師をされていました。

その先生との出会いが、修士課程、博士課程へと進むきっかけになりました。

そうではあったのですが、実際は一日のほどんどをバンド活動に費やしていたわけで。

大学院に進む準備などは大学4年になってから本格的に始めました。

 

大学4年での勉強は、大学入試の受験勉強の何倍もやったと思います。

分厚いテキストを数冊読破して、さらに卒論の担当の教授からも日々いきなりの口頭試問を受けたりしました。

同じゼミの友人たちからは同情されたりしましたが、それはそれで楽しい日々でした。

 

大学院で勉強していたときに、企業の研究者を紹介された

大学院で学生をしていたころは、典型的な「貧乏学生」でした。

授業料は両親に負担してもらっていましたが、生活は当時の育英会奨学金でまかなっていました。

月額が7万円とか、8万円とか。

食事はほとんど、学食やお弁当屋さんを利用していました。

のり弁を食べることが多かったですね。

今、それを続けると、たちどころに健康診断で「所見あり」となってしまうでしょう。

 

そんな貧乏学生を地獄に突き落とすような事件もありました。

当時の中曽根内閣の頃のことです。

年度予算が国会で承認されず、育英会奨学金も支払いが数か月遅れることがありました。

さすがに親に助けてもらいましたが、その状況はショックでした。

で、講座の先生に相談しました。

 

そこで紹介されたのが、今勤務している会社の、当時の研究部長。

それがきっかけとなって、会社の奨学金をもらうことになりました。

博士課程修了後は、そのまま今の会社に入社して、今に至ります。

あの時の奨学金支給遅延がなければ、別の道を進んでいた可能性もあります。

 

その場合、どこに住んでいたのでしょうね。

北海道にそのままいたのかな。

そんなことを考えてしまいます。

 

会社の研究所で働いているときに、タイの人たちとの交流が始まった

就職後は研究所にしばらくいました。

学協会などの対外的な仕事の比率が増えてきた段階で、研究室から管理系の部署に異動になりました。

その時に、タイにある関係会社との調整をすることになって。

英語がある程度話せたことと、タイの人に限らず、海外の人とのコミュニケーションを嫌がらなかったことなどが理由で、なんとなく海外対応担当のようになって。

 

やがて、タイにある関係会社の研究施設の責任者(GM)として駐在することになりました。

この時は、家族も一緒にタイに行きました。

いろいろな経験ができて、自分の一生のなかではとても思い出深い時期になっています。

苦労も多かったですが、よかったなと思います。

 

タイ駐在をしている間に、知的財産の重要性を気付かされ、知的財産部との縁ができた

タイの研究所では、特許情報を自分たちの研究開発に活かすということが、まだできていませんでした。

特許にこういう情報があるよと教えてあげると、それをそのまま追試して、それを製品に使おうとしたりしました。

で、それはダメダメ、と何度も言わないといけませんでしたね。

 

また、自分達でも特許を取得したいという希望も強くもつ研究者も現れて。

それはものすごくよいことなのですが、ただ、そのタイの研究所のメンバーでは誰も特許出願の経験はありませんでした。

僕自身はすでに特許出願を何度もしていて、手続きなどはわかっていたのですが、特許調査の詳しいところなどは知りませんでした。

 

それで、本社の知的財産部のメンバーにレクチャーを依頼しました。

タイに来てもらって、研究所で数日、ワークショップ形式でレクチャーをしてもらいました。

その時に、タイに僕がいるということを知ってもらい、海外での業務経験があるということから、帰国時に知的財産部に引っ張ってもらったのだと思っています。

 

企業で知的財産管理、予算管理などをしていて、FP資格のための勉強の重要性を知った

現在は知的財産部で、知的財産権のメンテナンス(案件管理)、費用管理、経理業務、対外的な折衝、コミュニケーションなどを担当しています。

お金に関する業務が中心になっていますね。

で、先に定年を迎えた上司が「FPの勉強は役に立つよ」と教えてくれました。

定年後の生活設計や、退職金の扱い、年金のことなど、FPの勉強をすることでかなりクリアになりました。

FP3級の資格は取ったのですが、同じような知識を求めている人はたくさんいるのではないかと思い、情報発信するために、さらに上位級を目指して勉強をしているところです。

 

さて、このFPの勉強の次には、どのようなことが始まるのか。

自分でも今からとても楽しみです。

 

 

*☺☺☺☺☺*

 

 

一つのことが終わりかけているとき、

新しいなにかはもう始まっている

 

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dantandho


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