百人一首第46番目の歌の作者は曽禰好忠です。
三十六歌仙の一人です。
今回は曽禰好忠について紹介します。
曽禰好忠とは
生没年は詳しくはわかりませんが、平安中期の人でした。
官位は六位、丹後掾を勤めました。
和歌の才能はありながらも、身分が高くなかったせいか、当時の社交界ではあまり評価されませんでした。
それに反発したのか、奮起したのか、人々に認められようとした行動をいくつかしたようですが、それらはむしろ、曽禰好忠を「奇行の人、偏屈な人」という評価にもつなげてしまいました。
百人一首に採用されている歌は、恋の道に惑うという、具体的な形のない心情に、由良の門で梶を無くして戸惑う船人という風景を与えています。
その姿を思い浮かべる私たちは、恋の道に惑う人物の心情を、より身に迫るものとして感じることができる。
そんな作品になっています。
時代背景
この歌に出てくる船人の操る船はどのようなものだったのでしょうか。
おそらくは近海で漁をするためのものか、近距離の搬送をするためのものだったかと思われます。
梶を失って途方に暮れる姿は、おそらく一人。
小さな船だったのでしょう。
平安時代には遣唐使船などが海を渡ったのですが、それがどのような船であったのか、詳しい資料はないようです。
現在残されている絵画などに描かれているのは、実際に遣唐使が派遣されていた頃よりも後のもの。
中国から渡ってきた船をモデルにして描かれたと考えられています。
遣唐使が唐に行っているのだから、それなりに技術の導入などはあったのかもしれませんが、当時の日本が、積極的に海外交易をしようとしていなかったので、独自の造船技術は発達しなかったのかと思われます。
藤原北家の権勢の中心にいる人たちは、交易の規模よりも、それを独占することに心を尽くしたようです。
船の歴史に関しては、大阪大学名誉教授の野本謙作さんの論文がありました。
とても面白いので紹介します。
百人一首の歌
歌:由良の門を渡る船人梶を絶え行方も知らぬ恋の道かな
歌の意味:由良の門を渡ろうとしている船人が、梶を失って途方にくれている、ちょうどそんなように、どうしたらよいのかわらかなくなった、この恋の道は。
「由良の門を渡る船人梶を絶え」
曽禰好忠 心情に具体的な風景を与える
学生時代、舞鶴ー小樽間のフェリーに数回乗ったことがあります。もう30年以上前のことです。当時は国鉄や飛行機を利用するよりもずっと安かったですね。
今は路線によっては飛行機の方が安いこともあります。早く着けるのでついつい飛行機を利用しがち。それでも、船の中でぼーっとできていた頃が懐かしいな。
定年後は、わざとゆっくりと移動する旅をしてみたいな。
またお立ち寄りください。
どうぞご贔屓に。
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