安心感の研究 by 暖淡堂

穏やかに日々を送るための試みの記録

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タイの床屋さん 日本とちょっとだけ違うところ 【微笑みの国の記憶:タイ駐在備忘録】

タイの床屋さん

タイの床屋さん

タイ駐在中は、髪が伸びたら床屋さんに行っていました。

何箇所か試しに行ってみて、感じの良かったところに通うようにしました。

床屋さん、シラチャにはたくさんありましたね。

日本みたいに理容師協会みたいなものがあるのか、ないのか。

値段がまちまちでした。

この写真のお店は、170バーツ。1バーツが大体3円だったので、500円くらいですね。

もっと安いところで100バーツ前後、高くて300バーツくらいでした。

バンコクの美容室みたいなところはもっと高いようですが。

 

で、僕は割と平気で床屋さんに行っていたのですが、出張などで帰国した時に日本で髪を切ることにしていた人が数人いました。

理由は、感染症

カミソリなどで傷がつくと、そこから感染するものがあるそうです。

肝炎などがそうだったようで。

それを聞いても、僕は床屋に通っていましたが…

 

そのためかどうか、日本ではあまりやらないと思うのですが、タイの床屋さんはリクエストすると電気シェーバーで髭を剃ってくれます。

結構厳かな儀式みたいに電気シェーバーを顔に当てています。

僕自身は頼んだことがないのですが、他の人に電気シェーバーで髭を剃ってもらう光景を見慣れていなかったので、なんだか可笑しくなったのを覚えています。

初めて見た時は、バリカンで髭を剃っているのかと思ってしまいました。

 

タイの床屋さん 日本とちょっとだけ違うところ

そういえば、コースについているというので、耳掃除をしてもらったことがあります。

その時、あまりに痛かったので、二度目はありませんでした。

ちなみに、現在は、いつも嫁さんに髪を切ってもらっています。

またお立ち寄りください。

どうぞご贔屓に。

 

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八切止夫 「新説・源平盛衰記」 平氏はどこから来て、どこへ行ったのか

八切史観による書物を初めて読みました。独自な歴史観で、教科書に書かれているように歴史を理解している人には若干抵抗があるかも知れません。しかし、教科書も、定説とされているものを選んでいますが、その定説も覆されることがないとは言えません。柔軟に理解していることの方が大切かも知れません。

 

八切さんは決して源義経ジンギスカンだったとは言っていません。その部分、心配された方、ご安心を。戦前、戦中になされた情報操作などにはむしろ批判的です。

 

ではありますが、珍説、奇説とされかねないことも多く書かれています。軽い調子で書かれていて、どちらかというと定説を信奉していて、考え方が膠着している人たちへの警鐘のようになっています。

ジョークのようにも読むことができます。ところどころ、出版コード的に大丈夫か、と心配になるところもあります。その辺り、この本が発禁にはなっていないので、機会がありましたらどうぞご自身でご確認ください。特に北条政子に関する記述は楽しめます。

 

で、この本で気付かされたことがあります。正直「おお〜」と思いました。

それは、源頼朝平氏を壇ノ浦で破った後、すっかり平氏に対する関心を失ってしまったらしいこと。平氏の残党よりも、むしろ源義経奥州藤原氏に視線が向いてしまったような感じです。壇ノ浦で平氏が全て滅んだとも思えないのですが。

日本の半分を支配したと言われている平氏。その平氏はどこから来て、どこへ行ってしまったのでしょう。その辺りの疑問を八切さんは指摘しています。

 

平家物語などはとても好きなので、新たな視点での考え方を学ぶことができて嬉しいです。良い書物と出会えました。

 

by カエレバ

 

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八切止夫 「新説・源平盛衰記

平氏はどこから来て、どこへ行ったのか

 

平家の豪華な顔ぶれの多くは、どこへ行ってしまったのか。

読後、それが心に残りました。

源氏の大軍と数では負けていなかったはず。

その人々が皆戦で死んでしまったとも思えません。

ミステリーとも言えますが、その辺りに切り込んで解明しようとした人はあまりいないようです。

またお立ち寄り下さい。

どうぞご贔屓に。

 

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「立ち別れいなばの山の峰に生ふる」 中納言行平(在原行平) 別れの情景を詠う

百人一首第16番目の歌の作者は中納言行平(在原行平)。

在原業平の兄です。

因幡守として赴任する時に詠んだ歌が百人一首に選ばれています。

 

今回は中納言行平(在原行平)について紹介します。

 

中納言行平(在原行平)とは

中納言行平(在原行平)は平城天皇の皇子阿保親王の子でした。因幡守としての赴任は2年で終わります。その後、理由は明らかには伝えられていませんが、須磨に蟄居させられていた時期があります。その時に詠んだ歌が古今和歌集に載せられています。

 わくらばに問ふ人あらば須磨の浦に藻塩垂れつつわぶとこたえよ

                   (「古今和歌集」雑下、九六二)

在原行平は、在原氏の子弟を教育する場として大学別曹奨学院を創設しました。これは藤原氏勧学院と並ぶものでした。

時代背景

在原行平在原氏の興隆を望んでいたのでしょうが、時代は藤原氏。それも藤原北家が権勢の中心にいました。菅原氏も対抗していましたが、菅原道真太宰府に左遷。藤原氏は朝廷での立場を揺るぎのないものにしていきました。

 

百人一首の歌

歌 立ち別れいなばの山の峰に生(お)ふるまつとし聞かば今帰り来む

歌の意味:あなたと別れて来ましたが、あなたが因幡の山に生えている松のように待っていると聞こえたならば、今すぐにも帰りましょう。

 

中納言行平(在原行平) 別れの情景を詠う

 

百人一首を、歌人に注目して紹介していきます。

引き続きどうぞご贔屓に。

 

 

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