百人一首第96番目の歌の作者は入道前太政大臣、藤原(西園寺)公経です。
鎌倉時代初期に栄華を極めた人。藤原公経の山荘を改装したものが、金閣寺として今も残っています。
今回は入道前太政大臣について紹介します。
入道前太政大臣とは
生年1171年、没年1244年。
藤原氏で藤原公経は歴史上二人知られていますが、こちらは西園寺家の祖と言われている方で、西園寺公経とも呼ばれます。
第3代将軍源実朝が暗殺された時には、自身も積極的に動き、京から将軍を迎え入れさせました。
第4代将軍藤原頼経の祖父、第5代将軍藤原頼嗣の曽祖父にあたります。
また、姉が藤原定家の妻であり、義兄弟の関係でもありました。
権勢を極めたのは承久の乱の後。
関東申次となり、朝廷と幕府との間を取り持つ重要な位置にあり続けました。
百人一首に選ばれている歌は、そんな権勢の頂点にいる人物の作品とは思えないほど、寂しさの漂うもの。
栄華の極みにあっても、ふとした時に微かに差し込む翳に、心が怯えるのでしょうか。
時代背景
最近、太宰治の「右大臣実朝」を再読しました。
岩波文庫から新刊として出ていたので読んでみました。
最初に読んだのは、ほぼ40年くらい前。
新潮文庫の「惜別」に収録されたものを読みました。
まだ学生の頃で、読書人としては成長途上。
ところどころ引用されている「吾妻鏡」の文章に手こずった記憶があります。
さすがに今は、じっくりと味わいながら読めました。
そして、これをどうして忘れていたのか、悔しく感じるくらいに面白い作品でした。
百人一首93番目の歌と、この「右大臣実朝」、合わせて読むと、味わい一入です。
百人一首、後半の世界観にご関心のある方にお勧めします。
百人一首の歌
歌:花さそふ 嵐の庭の 雪ならで ふりゆくものは 我が身なりけり
歌の意味:桜の花びらを誘い散らせる嵐の吹く庭には、雪が降るようであるけれども、ほんとうに古び、老いてゆくものは私のこの身なのだ
「花さそふ 嵐の庭の 雪ならで」 入道前太政大臣
栄華の極みでの、ひとときの翳り
またお立ち寄りください。
どうぞご贔屓に。
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