安心感の研究 by 暖淡堂

穏やかに日々を送るための試みの記録

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「おほけなく うき世の民に 覆ふかな」 前大僧正慈円 「愚管抄」の作者であり、後鳥羽上皇の挙兵には反対だった

百人一首第95番目の歌の作者は前大僧正慈円さきのだいそうじょうじえん慈円)です。

生涯で4度、天台宗の座主となった人です。

 

今回は前大僧正慈円について紹介します。

 

前大僧正慈円とは

生年1155年、没年1225年。

関白藤原忠通の六男で、1192年に天台宗の座主となっています。

藤原定家らとも交流があり、後鳥羽院の歌壇で歌人としても活躍していました。

兄は九条兼実で、政界の中心にいた人物。

 

百人一首に収められている歌は、京の街に武士が攻め込んできたり、疫病が流行ったりしたことを悲しんで歌われたもの。

慈円は公武の対立よりも調和を望んでいたらしく、後鳥羽院の挙兵には反対していたとも伝えられています。

愚管抄」は、鎌倉の幕府との対立を深める後鳥羽院を諫める意味でも書かれたようです。

 

時代背景

愚管抄」の成立は1220年頃。

後鳥羽上皇が中心となり挙兵して起こされた承久の乱が1221年5月。

承久の乱は2ヶ月ほどで収束。

後鳥羽上皇側の敗北で終わりました。

公武の調和を望んでいた慈円は、隠岐に配流される後鳥羽上皇の姿を見て、とても悲しんだのではないかと思われます。

 

承久の乱に関しましては、以下のリンク先の記事がとてもわかりやすいです。

ご参考まで。

 

www.tamagawa.ac.jp

 

百人一首の歌

歌:おほけなく うき世の民に 覆ふかな 我が立つ杣に 墨染の袖

歌の意味:おそれ多いことではあるが、今の辛い世の中の人々に救いとして覆いかけよう、この比叡山に住み始めた頃から来ている、この墨染の衣の袖を

 

 

「おほけなく うき世の民に 覆ふかな」 前大僧正慈円 

愚管抄」の作者であり、

後鳥羽上皇の挙兵には反対だった

 

またお立ち寄りください。

どうぞご贔屓に。

 

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